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<title>ドナーズネット</title>
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<updated>2012-01-25T21:43:39Z</updated>
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<title>Vol.35：菅野美奈さん</title>
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<published>2012-01-25T18:52:25Z</published>
<updated>2012-01-25T21:31:12Z</updated>
<summary>ピアニストの菅野美奈さん。発達障害児へのピアノ指導、小中学校を訪問して子供たちにクラッシックへの誘い演奏会活動、最近では自身や仲間のライブで骨髄バンクの紹介を行い、CDの売り上げの一部を骨髄バンクにご寄付いただいています。</summary>
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<category term="提供者さんインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">ドナー登録のきっかけは？</h3>
<p class="qaA">10歳のころ、入院した経験がありました。同部屋には、白血病の女の子がいて妹のように思っていました。その子の髪の毛が抜けていく様子、お母さんがトイレで泣いていた姿を見て、子供ながらに大変な病気と感じていました。わたしはすぐに退院し、その後の通院時に病室へ顔を出していましたが、ある時、その子がいなくなっており、亡くなられたことを直感した記憶が残っています。こうした経験から、何かお役に立てたらいいなと思いドナー登録しました。</p>
<h3 class="qaQ">適合通知が来たときはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">登録後１～2年は、適合をずっと待っていましたが、通知が届いた時は、登録したこともすっかり忘れており、「これは何？」という印象でした。それでも、適合する患者さんと出会えてとても嬉しかったです。ドナー候補者は複数いるそうですが、何人いるかは教えてもらえません。わたしがお断りしたら、患者さんがどうなるかわからないと思い、お話を進めていただきました。<p>
<h3 class="qaQ">ご家族の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">主人はあまりいい顔をしませんでしたが、わたしが自分の欲求することは絶対やめない性格をよくわかっていたので、何も言いはしませんでした。子供は骨髄提供をする説明をすると固まっていました。</p>
<h3 class="qaQ">周囲の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">親しい友達には、骨髄バンクで型のあった患者さんが見つかり、提供することになるかもしれない話をしました。おもしろいことに、男性陣は「やめておいたら？」といった反応が多く、女性陣からは「すごいね」という反応があり、「やめておけば」という言葉は誰からも出てきませんでした。</p>
<h3 class="qaQ">入院中のエピソードをお聞かせください</h3>
<p class="qaA">入院は子供のころと出産時にあり骨髄提供が3回目でしたが、一番短い入院でした。
提供当日、目が覚めた時はちょっとドキドキしました。手術室に入り、麻酔をかけられると、天井の電燈がぼやけて見えたかと思っているうちに意識がなくなり、目が覚めた時は病室でいろいろなチューブにつながれていて、それから急に病人になったような気分でした。
<br>
見舞いに来た主人はそんな姿を直視できず、すぐに帰ってしまいました。息子は当時小学校6年生でしたが、一人で電車やバスを乗り継いで遠くの病院まで見舞いに来てくれました。その帰っていく後姿をいつまでも病室の窓から見送ったことを覚えています。やはり病院は患者さんがいるところなので、重々しい雰囲気があり、そこにいるのがとてもつらくて早く退院したいと思いました。
</p>
<h3 class="qaQ">採取後の痛みはありましたか？</h3>
<p class="qaA">自転車に乗った時、うしろの籠がちょうど採取したところにあたると痛かったです。また、しばらくおなかに力を入らず、すぐに座りたくなってしましました。でも日に日によくなり、2週間くらいで戻りました。</p></div></div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします</h3>
<p class="qaA">20代の青年と聞いていました。早く元気になってほしいと思っていましたが、お手紙をいただき、命をもらったので、これからは社会貢献をしたいというようなことが書いてあり感激しました。ぜひ、その夢が実現できることをお祈りしています。<br>
　また、わたしが骨髄を提供したのは事実ですが、わたしのほうこそ素晴らしいものをいただいた気分です。ありがとうございます。<br>
お手紙交換は提供後1年間に2回までですが、１年間だけというのはちょっとさみしい気がします。名前も住所も知らされなくても構いませんが、せめて年賀状とかのやり取りができればいいなと思いますが・・・。
</p>
<h3 class="qaQ">ドナー登録を考えている方へ、体験者としてのメッセージを</h3>
<p class="qaA">前向きな気持ちがあるのであれば、登録していただきたいです。周りの方々には、提供したいと思う人を信じて応援してほしいと思います。</p>
<h3 class="qaQ">２回目の提供の機会があったらどうしますか？</h3>
<p class="qaA">息子に相談してから、改めて考えます。</p>
</div></div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">Q. ドナー登録のきっかけは？<br />A. 10歳のころ、入院した経験がありました。同部屋には、白血病の女の子がいて妹のように思っていました。その子の髪の毛が抜けていく様子、お母さんがトイレで泣いていた姿を見て、子供ながらに大変な病気と感じていました。わたしはすぐに退院し、その後の通院時に病室へ顔を出していましたが、ある時、その子がいなくなっており、亡くなられたことを直感した記憶が残っています。こうした経験から、何かお役に立てたらいいなと思いドナー登録しました。<br /><br />Q. 適合通知が来たときはどう思いましたか？<br />A. 登録後１～2年は、適合をずっと待っていましたが、通知が届いた時は、登録したこともすっかり忘れており、「これは何？」という印象でした。それでも、適合する患者さんと出会えてとても嬉しかったです。ドナー候補者は複数いるそうですが、何人いるかは教えてもらえません。わたしがお断りしたら、患者さんがどうなるかわからないと思い、お話を進めていただきました。<br /><br />Q. ご家族の反応はどうでしたか？<br />A. 主人はあまりいい顔をしませんでしたが、わたしが自分の欲求することは絶対やめない性格をよくわかっていたので、何も言いはしませんでした。子供は骨髄提供をする説明をすると固まっていました。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q.  周囲の反応はどうでしたか？<br />A. 親しい友達には、骨髄バンクで型のあった患者さんが見つかり、提供することになるかもしれない話をしました。おもしろいことに、男性陣は「やめておいたら？」といった反応が多く、女性陣からは「すごいね」という反応があり、「やめておけば」という言葉は誰からも出てきませんでした。<br /><br />Q. 入院中のエピソードをお聞かせください<br />A. 入院は子供のころと出産時にあり骨髄提供が3回目でしたが、一番短い入院でした。
提供当日、目が覚めた時はちょっとドキドキしました。手術室に入り、麻酔をかけられると、天井の電燈がぼやけて見えたかと思っているうちに意識がなくなり、目が覚めた時は病室でいろいろなチューブにつながれていて、それから急に病人になったような気分でした。
<br>
見舞いに来た主人はそんな姿を直視できず、すぐに帰ってしまいました。息子は当時小学校6年生でしたが、一人で電車やバスを乗り継いで遠くの病院まで見舞いに来てくれました。その帰っていく後姿をいつまでも病室の窓から見送ったことを覚えています。やはり病院は患者さんがいるところなので、重々しい雰囲気があり、そこにいるのがとてもつらくて早く退院したいと思いました。
<br /><br />Q. 採取後の痛みはありましたか？<br />A. 自転車に乗った時、うしろの籠がちょうど採取したところにあたると痛かったです。また、しばらくおなかに力を入らず、すぐに座りたくなってしましました。でも日に日によくなり、2週間くらいで戻りました。</br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします<br />A.20代の青年と聞いていました。早く元気になってほしいと思っていましたが、お手紙をいただき、命をもらったので、これからは社会貢献をしたいというようなことが書いてあり感激しました。ぜひ、その夢が実現できることをお祈りしています。<br>
　また、わたしが骨髄を提供したのは事実ですが、わたしのほうこそ素晴らしいものをいただいた気分です。ありがとうございます。<br>
お手紙交換は提供後1年間に2回までですが、１年間だけというのはちょっとさみしい気がします。名前も住所も知らされなくても構いませんが、せめて年賀状とかのやり取りができればいいなと思いますが・・・。<br /><br />Q.ドナー登録を考えている方へ、体験者としてのメッセージを<br />A. 前向きな気持ちがあるのであれば、登録していただきたいです。周りの方々には、提供したいと思う人を信じて応援してほしいと思います。
<br /><br />
Q. ２回目の提供の機会があったらどうしますか？<br />A. 息子に相談してから、改めて考えます。<br />
</div>]]>
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<title>Vol.26：荒井&quot;daze&quot;善正さん</title>
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<id>tag:www.donorsnet.jp,2011://7.4972</id>
<published>2011-11-02T19:33:55Z</published>
<updated>2011-11-02T20:06:54Z</updated>
<summary>2008年に骨髄バンクを通じ骨髄移植を受けたプロスノーボーダーの荒井&quot;daze&quot;善正さん、「僕は、誰がドナーとなって僕を救ってくれたのか、永遠に知ることができません。骨髄バンクのルールで、患者とドナーは会うことができないのです。だからこの感謝の気持ちを、僕に骨髄液を提供してくれたドナーさんに「PAY BACK」するのではなく、未来の命のために、「PAY IT FORWARD」することに決めました。そして現在、骨髄バンク普及のためにこのイベントを企画しました」</summary>
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<category term="この人にインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="subBlock">
<h3><img src="<mt:BlogUrl />common/images/head_profile.gif" alt="プロフィール" width="39" height="9" /></h3>
<dl class="txtBlock">
<dt>荒井"daze"善正（あらい だぜ よしまさ）</dt>
<dd>1979年東京都生まれ、千葉育ち。16歳の時にスノーボードを初体験、その後プロを目指して国内外で活動。2005年「慢性活動性ＥＢウィルス感染症」を発症し、2008年に骨髄バンクを通じて骨髄移植。現在はプロスノーボーダーとして復帰、また骨髄バンクの普及やドナー登録推進のための活動にも精力的に取り組んでいる。2009年自らの体験を綴った「NO SNOWBOARDING NO LIFE スノーボードがくれた命」（トランスワールドジャパン株式会社）を出版。 
<dd></dd></dl></div>
<div class="mainBlock">
<p>僕は16歳からスノーボードを始め、オリンピックにも出場した国母和宏君との出会いから北海道真駒内スキー場をメインとして活動を行って来ました。2005年プロとしてようやく芽が出始めた頃、足の痛みや麻痺、毎日続く発熱に悩まされるようになり、病院に行きましたが、原因も病名も分かりませんでした。最終的に「慢性活動性EBウィルス感染症」と診断されましたが、それは余命数年という宣告でもありました。 この病気はまだ治療法が確立されておらず、【骨髄移植】で治った例はあるが、その成功率は約30％！僕は「またスノーボードをやりたい！」という一心で、骨髄移植を受ける決心をしました。</p>
<span><img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="daze2.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/daze2.jpg" width="250" height="193" /></span>
<p>婚約中、突然の闘病を側で支え続けてくれた妻の育子さん</p>
</div>
</div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<p>骨髄移植を受けるためには、骨髄の型が一致するドナー（提供者）が必要ですが、僕の場合は家族には適合者はなく、「骨髄バンク」がそのドナーを見つけてくれました。僕はドナーの方から骨髄液をもらい骨髄移植を受けたことで、生きるチャンスを頂きました。おかげで今では病気を克服し、またプロスノーボーダーに復帰することが出来ました。</p>
<p>
<span><img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="daze3.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/daze3.jpg" width="250" height="199" /></span></p>闘病中は多くのスノーボード仲間達が僕を励まし、支えてくれました。募金活動をしてもらい経済的にも助けられ、こうしたみんなに心から感謝しています。 
<p>今僕は骨髄バンクのドナー登録時に受付説明を行う説明員の活動の他、骨髄バンクや命の大切さ、チャレンジの精神を語る講演会でドナー登録を呼び掛ける活動をしています。そして今度は僕が実行委員長となり、スノーボードを通じて幅広い世代の人々に骨髄バンクを知ってもらうイベントを開催します。</p><strong>SNOWBANK PAY IT FORWARD2011</strong> <br /><strong>～骨髄バンク20周年記念キャンペーンイベント～</strong> <br /><a href="http://www.sbpif.net/" target="_blank">http://www.sbpif.net/</a><br />【日時】2011年11月12日（土）、13日（日）<br />【場所】代々木公園　イベント広場<br /><br />
<p>当日は代々木公園に雪を降らせ、プロスノーボーダーのレール演技、一般スノーボーダー参加のレールセッション、お子様も楽しめるゲレンデのそり遊び、ステージでのバンド演奏、トークショー等盛り沢山のプログラムです。レールセッションの参加者、ボランティア募集中です。また13日(日)にはドナー登録会も開催します。大勢の皆さまのご来場をお待ちしています。</p></div></div>]]>
</content>
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<title>Vol.34：中林吾郎さん</title>
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<id>tag:www.donorsnet.jp,2011://7.4970</id>
<published>2011-09-14T18:42:18Z</published>
<updated>2011-09-14T19:54:30Z</updated>
<summary>1995年、阪神大震災、おとうさまの死と相次ぎ、命について真剣に考えるように
なり、ドナー登録をした中林さん。10年後の2005年に骨髄提供に至りました。
いくつかの困難を乗り越えての提供でしたが、もう一度機会が訪れれば・・・</summary>
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<name>donors</name>
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<category term="提供者さんインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">ドナー登録のきっかけは？</h3>
<p class="qaA">1995年1月、けがをして父が入院し、数日後に阪神淡路大震災が発生しました。道路事情などで私が見舞いに訪れたのは４日後でしたが、家族と連絡も取れず、テレビで自宅の周辺がめちゃくちゃになっている様子を見ていた父は、心配のあまり4日間で白髪になってしまいました。それから容態が急に悪化し、父は２月に亡くなりましたが、この時から命について真剣に考えるようになりました。父の病院には、「ドナーさえいれば助かるのに・・・」という骨髄バンクのチラシが置いてあり、これがドナー登録をするきっかけとなりました。</p>
<h3 class="qaQ">適合通知が来たときはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">登録してから10年くらいたったころでした。そもそも命について考えての登録でしたから提供したいと思いましたが、登録時と違い、結婚してちょうど子供が生まれる時でした。そのため、妻がどう思うかがとても気がかりでした。</p>
<h3 class="qaQ">ご家族の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">その妻が快く賛成をしてくれましたが、母親に反対されました。ドナーになって全身麻酔をかけると死んでしまうといううわさに不安を抱いたようでした。</p>
<h3 class="qaQ">周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">職場が地方の支店だったのですが、上司からは休むのは結構だが、自分のノルマは自分で処理し、自分の責任の範囲内やれというスタンスでした。</p>
<h3 class="qaQ">コーディネート中に印象に残ったことは？</h3>
<p class="qaA">提供はしたいけれど、休みは極力少なくして仕事に影響がないようにしたかったので、コーディネーターや調整医師、採取施設に無理を言いました。皆さんに受け入れていただいて、おかげさまでスムーズに提供することができました。</p>
<h3 class="qaQ">採取のときは緊張しましたか？</h3>
<p class="qaA">病室からストレッチャーに乗せられて、天井を見つめている時は本当にドキドキしました。そして連れて行かれた手術室は、全体が水色でひんやりしていました。普通は重病の方が運ばれてくるのだろうと思うと、変な気持ちになりましたが、麻酔の導入で間もなく記憶がなくなってしまいました。術後に名前を呼ばれて答えたらしいのですが、そのことすら覚えておらず、夕方までぐっすり眠ってしまいました。</p></div></div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">採取後の痛みはありましたか？</h3>
<p class="qaA">採取後は鈍痛がありましたが、ほとんど気になりませんでした。２～３日後、仕事で重いものを持ったところ、ズキズキ痛んできたので心配になり、医師に電話で相談したところ、大事ではないことを確認しました。それからは、まったく問題はありませんでした。</p>
<h3 class="qaQ">入院中のエピソードをお聞かせください</h3>
<p class="qaA">個室と聞いていましたが４人部屋でびっくりしました。入院してきたと思ったら酸素マスクをつけて戻ってきた私に、同室の患者さんは何の病気なんだろうという顔をしていました。骨髄提供のために入院したことを話をしていいのかもわからず、また自分はすぐに退院していくのであれこれ聞くのも失礼と思い、親しくすることもせず深入りしませんでした。病院ではお金を使わないと思っていましたが、なんやかや売店で買い物をしてしまい、手持ちがほとんどなくなってしまいました。そんな中、退院の日には昼食が出ず、途中で食事をするお金もなくなり、空腹のまま帰宅し、2時過ぎにようやく食事にありつけました。（笑）</p>
<h3 class="qaQ">患者さんについてはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">本当に助かっているのか、助からないのであれば、提供した意味はあるのか、疑問があります。ただただ元気になっていてほしいと思っています。</p>
<h3 class="qaQ">あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします。</h3>
<p class="qaA">言葉でいうのは難しいのですが、あきらめないで、生きることに執着してほしいです。</p>
<h3 class="qaQ">ドナー登録を考えている方へ、体験者としてのメッセージを。</h3>
<p class="qaA">人に勧めることではないと思いますので、特にはありません。きっかけは、皆さんそれぞれ個人的なことで、ご自身で判断してほしいです。</p>
<h3 class="qaQ">2回目の提供の機会があったらどうしますか？</h3>
<p class="qaA">やりたいです。健康状態がややあやしいのですが・・・。</p>
</div></div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">Q. ドナー登録のきっかけは？<br />A. 1995年1月、けがをして父が入院し、数日後に阪神淡路大震災が発生しました。道路事情などで私が見舞いに訪れたのは４日後でしたが、家族と連絡も取れず、テレビで自宅の周辺がめちゃくちゃになっている様子を見ていた父は、心配のあまり4日間で白髪になってしまいました。それから容態が急に悪化し、父は２月に亡くなりましたが、この時から命について真剣に考えるようになりました。父の病院には、「ドナーさえいれば助かるのに・・・」という骨髄バンクのチラシが置いてあり、これがドナー登録をするきっかけとなりました。<br /><br />Q. 適合通知が来たときはどう思いましたか？<br />A. 登録してから10年くらいたったころでした。そもそも命について考えての登録でしたから提供したいと思いましたが、登録時と違い、結婚してちょうど子供が生まれる時でした。そのため、妻がどう思うかがとても気がかりでした。<br /><br />Q. ご家族の反応はどうでしたか？<br />A. その妻が快く賛成をしてくれましたが、母親に反対されました。ドナーになって全身麻酔をかけると死んでしまうといううわさに不安を抱いたようでした。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？<br />A. 職場が地方の支店だったのですが、上司からは休むのは結構だが、自分のノルマは自分で処理し、自分の責任の範囲内やれというスタンスでした。<br /><br />Q. コーディネート中に印象に残ったことは？<br />A. 提供はしたいけれど、休みは極力少なくして仕事に影響がないようにしたかったので、コーディネーターや調整医師、採取施設に無理を言いました。皆さんに受け入れていただいて、おかげさまでスムーズに提供することができました。<br /><br />Q. 採取のときは緊張しましたか？<br />A. 病室からストレッチャーに乗せられて、天井を見つめている時は本当にドキドキしました。そして連れて行かれた手術室は、全体が水色でひんやりしていました。普通は重病の方が運ばれてくるのだろうと思うと、変な気持ちになりましたが、麻酔の導入で間もなく記憶がなくなってしまいました。術後に名前を呼ばれて答えたらしいのですが、そのことすら覚えておらず、夕方までぐっすり眠ってしまいました。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 採取後の痛みはありましたか？<br />A. 採取後は鈍痛がありましたが、ほとんど気になりませんでした。２～３日後、仕事で重いものを持ったところ、ズキズキ痛んできたので心配になり、医師に電話で相談したところ、大事ではないことを確認しました。それからは、まったく問題はありませんでした。<br /><br />Q. 入院中のエピソードをお聞かせください<br />A. 個室と聞いていましたが４人部屋でびっくりしました。入院してきたと思ったら酸素マスクをつけて戻ってきた私に、同室の患者さんは何の病気なんだろうという顔をしていました。骨髄提供のために入院したことを話をしていいのかもわからず、また自分はすぐに退院していくのであれこれ聞くのも失礼と思い、親しくすることもせず深入りしませんでした。病院ではお金を使わないと思っていましたが、なんやかや売店で買い物をしてしまい、手持ちがほとんどなくなってしまいました。そんな中、退院の日には昼食が出ず、途中で食事をするお金もなくなり、空腹のまま帰宅し、2時過ぎにようやく食事にありつけました。（笑）<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 患者さんについてはどう思いましたか？<br />A. 本当に助かっているのか、助からないのであれば、提供した意味はあるのか、疑問があります。ただただ元気になっていてほしいと思っています。<br /><br />Q. あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします。<br />A. 言葉でいうのは難しいのですが、あきらめないで、生きることに執着してほしいです。<br /><br />Q. ドナー登録を考えている方へ、体験者としてのメッセージを。<br />A. 人に勧めることではないと思いますので、特にはありません。きっかけは、皆さんそれぞれ個人的なことで、ご自身で判断してほしいです。<br /><br />Q. 2回目の提供の機会があったらどうしますか？<br />A. やりたいです。健康状態がややあやしいのですが・・・</div>]]>
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<title>Vol.33：村越　功さん</title>
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<published>2011-08-22T23:04:27Z</published>
<updated>2011-08-22T23:45:44Z</updated>
<summary>Vol．26でご紹介したドナー飯田多可一さんと同僚の村越さんには、2008年にご提供いただきました。登録のきっかけはそれぞれ違いますが、同じ会社で同じグループに所属する二人が骨髄提供していただいた例は、珍しいケースではないでしょうか。</summary>
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<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">ドナー登録のきっかけは？</h3>
<p class="qaA">テレビで若い女性の患者さんの報道やコマーシャルを見て骨髄バンクに関心を持ちました。臓器提供は死後ですが、生きているうちに自分の意思で提供できる骨髄提供ができたらいいと思い、献血ルームへ行って登録しました。献血は時々していたので、抵抗は全くありませんでした。</p>
<h3 class="qaQ">適合通知が来たときはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">登録してから随分と年月がたっていたので、こういう機会は来ないと思っていたので、びっくりはしました。それでも登録した時点では提供したいと思っていたので、「やった！」という気分でしたが、嬉しいながらも責任があることなので、コーディネートを受けて、話をしっかり聞いてみようと思いました。</p>
<h3 class="qaQ">ご家族の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">妻も登録を考えていながら、そのチャンスがないままでしたので反対はしませんでした。そして私の提供後に、ドナー登録をしてくれました。</p>
<h3 class="qaQ">周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">提供が決まった後で、上司に報告しました。たまたまお盆の休暇にかかる提供でしたので、実際には休みは１日取っただけで済みました。同僚へは、提供が済んでから話をしたのですが、提供した骨髄液の量が900ｍLというのを聞いて、とても驚かれてしまいました。</p>
<h3 class="qaQ">提供が決まってから、特に気をつけたことはありますか？</h3>
<p class="qaA">風邪など病気にならないように、事故にあわないようにと少しだけ気を使いました。コーディネーターの方から運動をするいとある種の数値が上がってしまい、提供できなくなることがあるといわれました。ウィンドサーファーの私にとって、ちょうどシーズン中の夏でしたのでつらいところではありましたが、封印することになりました。</p>
<h3 class="qaQ">コーディネート中に印象に残ったことは？</h3>
<p class="qaA">コーディネーターの方が、たまたま同じ会社に在籍をしていたとわかり、親切にしていただき、私の方も親近感がわきよかったです。</p></div></div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">入院中のエピソードをお聞かせください</h3>
<p class="qaA">以前に軽い病気で入院したことはありましたが、提供も３日程度ということだったので休養のつもりで入ることができました。暇で、痛みもほとんどなく、夕食もしっかり食べ、本当の意味で休養になりました。</p>
<h3 class="qaQ">採取のときは緊張しましたか？</h3>
<p class="qaA">提供の日はさすがに緊張しました。麻酔はすぐ効き、手術室の記憶は全くありません。気が付いたのは病室のベッドの中でした。</p>
<h3 class="qaQ">採取後の痛みはありましたか？</h3>
<p class="qaA">採取した部分が何かに触れたり、動くと多少痛みはありましたが、想像とは全然違ってそれほどつらくはありませんでした。トイレにも歩いて行きましたし、先に提供した同僚の飯田さん（Vol.26）から提供後気分が悪くなったと聞いていましたが、そうしたことも全くありませんでした。単身赴任で寮生活をしていたので、入浴は共同浴場でした。採取でお尻に大きな青あざができているのを見た人には驚かれてしまい、骨髄提供について説明をすることになりました。</p>
<h3 class="qaQ">あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします。</h3>
<p class="qaA">成人の同年代の男性で、手紙をいただき経過は良好のようでした。元気で今後もいい人生を過ごされると信じています。</p>
<h3 class="qaQ">ドナー登録を考えている方へ、体験者としてのメッセージを。</h3>
<p class="qaA">生きている間に直接人の役に立てることはなかなかないことです。わたしの体験では、骨髄の提供は、あまり重くありませんでした。適合通知が来ることや提供する機会は少ないけれど、人から勧められるのではなく、自分が登録を考えているのであれば、是非登録して欲しいです。</p>
<h3 class="qaQ">2回目の提供の機会があったらどうしますか？</h3>
<p class="qaA">問題なく提供します。</p>
</div></div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">Q. ドナー登録のきっかけは？<br />A. テレビで若い女性の患者さんの報道やコマーシャルを見て骨髄バンクに関心を持ちました。臓器提供は死後ですが、生きているうちに自分の意思で提供できる骨髄提供ができたらいいと思い、献血ルームへ行って登録しました。献血は時々していたので、抵抗は全くありませんでした。<br /><br />Q. 適合通知が来たときはどう思いましたか？<br />A. 登録してから随分と年月がたっていたので、こういう機会は来ないと思っていたので、びっくりはしました。それでも登録した時点では提供したいと思っていたので、「やった！」という気分でしたが、嬉しいながらも責任があることなので、コーディネートを受けて、話をしっかり聞いてみようと思いました。<br /><br />Q. ご家族の反応はどうでしたか？<br />A. 妻も登録を考えていながら、そのチャンスがないままでしたので反対はしませんでした。そして私の提供後に、ドナー登録をしてくれました。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？<br />A. 提供が決まった後で、上司に報告しました。たまたまお盆の休暇にかかる提供でしたので、実際には休みは１日取っただけで済みました。同僚へは、提供が済んでから話をしたのですが、提供した骨髄液の量が900ｍLというのを聞いて、とても驚かれてしまいました。<br /><br />Q. 提供が決まってから、特に気をつけたことはありますか？<br />A. 風邪など病気にならないように、事故にあわないようにと少しだけ気を使いました。コーディネーターの方から運動をするいとある種の数値が上がってしまい、提供できなくなることがあるといわれました。ウィンドサーファーの私にとって、ちょうどシーズン中の夏でしたのでつらいところではありましたが、封印することになりました。<br /><br />Q. コーディネート中に印象に残ったことは？<br />A. コーディネーターの方が、たまたま同じ会社に在籍をしていたとわかり、親切にしていただき、私の方も親近感がわきよかったです。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 入院中のエピソードをお聞かせください<br />A. 以前に軽い病気で入院したことはありましたが、提供も３日程度ということだったので休養のつもりで入ることができました。暇で、痛みもほとんどなく、夕食もしっかり食べ、本当の意味で休養になりました。<br /><br />Q. 採取のときは緊張しましたか？<br />A. 提供の日はさすがに緊張しました。麻酔はすぐ効き、手術室の記憶は全くありません。気が付いたのは病室のベッドの中でした。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 採取後の痛みはありましたか？<br />A. 採取した部分が何かに触れたり、動くと多少痛みはありましたが、想像とは全然違ってそれほどつらくはありませんでした。トイレにも歩いて行きましたし、先に提供した同僚の飯田さん（Vol.26）から提供後気分が悪くなったと聞いていましたが、そうしたことも全くありませんでした。単身赴任で寮生活をしていたので、入浴は共同浴場でした。採取でお尻に大きな青あざができているのを見た人には驚かれてしまい、骨髄提供について説明をすることになりました。<br /><br />Q. あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします。<br />A. 成人の同年代の男性で、手紙をいただき経過は良好のようでした。元気で今後もいい人生を過ごされると信じています。<br /><br />Q. ドナー登録を考えている方へ、体験者としてのメッセージを。<br />A. 生きている間に直接人の役に立てることはなかなかないことです。わたしの体験では、骨髄の提供は、あまり重くありませんでした。適合通知が来ることや提供する機会は少ないけれど、人から勧められるのではなく、自分が登録を考えているのであれば、是非登録して欲しいです。<br /><br />Q. 2回目の提供の機会があったらどうしますか？<br />A. 問題なく提供します。</div>]]>
</content>
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<title>Vol.32：野添博行さん</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/offer/004965.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2011://7.4965</id>
<published>2011-07-11T23:05:43Z</published>
<updated>2011-07-15T01:30:16Z</updated>
<summary>２０１１年度のACの骨髄バンク支援コマーシャルに出演された野添博行さん、電気工事という忙しい仕事の合間をぬって、コーディネートを受けご提供いただきました。提供意思は固かったものの、一方では不安も...。こうした不安をどのように解消していったのか伺ってみました。</summary>
<author>
<name>donors</name>
</author>
<category term="提供者さんインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">ドナー登録のきっかけは？</h3>
<p class="qaA">兄が骨髄バンクへドナー登録をしたと聞いたことがきっかけです。私は、先に臓器提供意思表示のカードを持ち、献血もしていたので「これはいいことだ」と思い、すぐに献血ルームに行って登録しました。</p>
<h3 class="qaQ">適合通知が来たときはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">登録してから1年位したころ適合のお知らせが来ました。正直自分が一致するとは思っていませんでしたので、びっくりしました。それでも、「来たらやる」という気持ちで登録していたので提供することに迷いはありませんでした。</p>
<h3 class="qaQ">ご家族の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">4人兄弟の末っ子でしたが、適合の知らせが届いた時、まずすぐ上の姉に相談しました。姉は「それはすごいことだね」と、提供について激励してくれました。母とは面と向かって真剣な話をしたことなどはありませんでした。骨髄提供へ向けた最終同意に同席してもらうにあたり、お互いに向き合ういい機会となりました。</p>
<h3 class="qaQ">周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">提供まで、知人や友人には骨髄提供の話はしませんでした。人に勧めるものではなく、自分がやると決めたらやればいいと思ったからです。</p>
<h3 class="qaQ">提供が決まってから、特に気をつけたことはありますか？</h3>
<p class="qaA">手術は初めてなので、とても不安でした。この不安はきっと知らないことからくるのだろうと思い、コーディネーターや医師にはなんでも質問をしました。また、提供したドナー体験者や関係者の話をインターネットで調べ収集しました。経験者のなまの体験談は非常に参考になりました。こうして知識を深めていくうちに不安は薄らいでいきました。知らないから不安になる、だからその不安を解消するには知ることが最も重要です。</p>
<h3 class="qaQ">採取のときは緊張しましたか？</h3>
<p class="qaA">もちろん緊張していましたが、手術室に入るとすぐに意識がなくなり、全く覚えていません。</p></div></div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">採取後の痛みはありましたか？</h3>
<p class="qaA">我慢はできる程度ですが、痛かったです。入院にはリュックを持ってきましたが、退院の時それを背負うとちょうど採取した辺りにあたって痛かったです。入院する時は、リュックはやめた方がいいと思います。</p>
<h3 class="qaQ">あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします。</h3>
<p class="qaA">今回のACの映像で横を向いているカットがあります。監督さんから「提供前に患者さんの事を考えていたころのことを思い出して」と言われ、どこにいるかわからない僕の患者さんへ思いを寄せるシーンです。「待っていてくださいね。もうすぐ（骨髄を）届けますから。そして早く元気になってください」と。</p>
<h3 class="qaQ">2回目の提供の機会があったらどうしますか？</h3>
<p class="qaA">一度提供を経験しているので、仕事のやりくりも含め大変さがよくわかっている。最終的に提供することまで見据えて、提供できるようならまたしたい。</p>
<h3 class="qaQ">コーディネーターについて</h3>
<p class="qaA">家族のように親身に接してくださいました。とても感謝しています。</p>
<p>（コーディネーターから）</p>
<p>野添さんは、まじめな方です。怖いものは怖い、わからないことはわからないと言うことができる方で、あいまいにしないところが素晴らしかったです。</p></div></div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">Q. ドナー登録のきっかけは？<br />A. 兄が骨髄バンクへドナー登録をしたと聞いたことがきっかけです。私は、先に臓器提供意思表示のカードを持ち、献血もしていたので「これはいいことだ」と思い、すぐに献血ルームに行って登録しました。<br /><br />Q. 適合通知が来たときはどう思いましたか？<br />A. 登録してから1年位したころ適合のお知らせが来ました。正直自分が一致するとは思っていませんでしたので、びっくりしました。それでも、「来たらやる」という気持ちで登録していたので提供することに迷いはありませんでした。<br /><br />Q. ご家族の反応はどうでしたか？<br />A. 4人兄弟の末っ子でしたが、適合の知らせが届いた時、まずすぐ上の姉に相談しました。姉は「それはすごいことだね」と、提供について激励してくれました。母とは面と向かって真剣な話をしたことなどはありませんでした。骨髄提供へ向けた最終同意に同席してもらうにあたり、お互いに向き合ういい機会となりました。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？<br />A. 提供まで、知人や友人には骨髄提供の話はしませんでした。人に勧めるものではなく、自分がやると決めたらやればいいと思ったからです。<br /><br />Q. 提供が決まってから、特に気をつけたことはありますか？<br />A. 手術は初めてなので、とても不安でした。この不安はきっと知らないことからくるのだろうと思い、コーディネーターや医師にはなんでも質問をしました。また、提供したドナー体験者や関係者の話をインターネットで調べ収集しました。経験者のなまの体験談は非常に参考になりました。こうして知識を深めていくうちに不安は薄らいでいきました。知らないから不安になる、だからその不安を解消するには知ることが最も重要です。<br /><br />Q. 採取のときは緊張しましたか？<br />A. もちろん緊張していましたが、手術室に入るとすぐに意識がなくなり、全く覚えていません。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 採取後の痛みはありましたか？<br />A. 我慢はできる程度ですが、痛かったです。入院にはリュックを持ってきましたが、退院の時それを背負うとちょうど採取した辺りにあたって痛かったです。入院する時は、リュックはやめた方がいいと思います。<br /><br />Q. あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします。<br />A. 今回のACの映像で横を向いているカットがあります。監督さんから「提供前に患者さんの事を考えていたころのことを思い出して」と言われ、どこにいるかわからない僕の患者さんへ思いを寄せるシーンです。「待っていてくださいね。もうすぐ（骨髄を）届けますから。そして早く元気になってください」と。<br /></div><br />
<div class="pageBlock">Q. 2回目の提供の機会があったらどうしますか？<br />A. 一度提供を経験しているので、仕事のやりくりも含め大変さがよくわかっている。最終的に提供することまで見据えて、提供できるようならまたしたい。<br /><br />Q. コーディネーターについて<br />A.家族のように親身に接してくださいました。とても感謝しています。<br />（コーディネーターから）<br />野添さんは、まじめな方です。怖いものは怖い、わからないことはわからないと言うことができる方で、あいまいにしないところが素晴らしかったです。 </div>]]>
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<title>Vol.31：おちあやこさん</title>
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<id>tag:www.donorsnet.jp,2011://7.4964</id>
<published>2011-07-06T19:45:29Z</published>
<updated>2011-07-10T19:48:16Z</updated>
<summary>近畿地区を中心にリポーターとして活躍中のおちあやこさん。２０１１年度のACの骨髄バンク支援コマーシャルにドナー経験者として出演されました。今回は提供時を振り返りお話を伺ってみました。</summary>
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<name>donors</name>
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<category term="提供者さんインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">ドナー登録のきっかけは？</h3>
<p class="qaA">献血をよくしていたので、献血ルームで骨髄バンクのチラシをもらい「骨髄バンク」の存在をしりました。登録したころのACのコマーシャルでは、アンディ―フグさんが出演されている作品でした。鍛えた肉体をもった方にも病魔が襲うんだと驚いたことを覚えています。 </p>
<h3 class="qaQ">適合通知が来たときはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">適合のお知らせがどういう形で来るのか知らなかったので、なんだろうと思いました。1回目の適合は、登録後すぐでしたが、当時は声を使う仕事をしていたので少し心配していましたが、すぐに、コーディネートが終了となってしまいました。その後、2回目の適合のお知らせがまたきたので、こんなに簡単に合うものかと思いました。でも、提供するつもりで登録していたので、迷いはありませんでした。</p>
<h3 class="qaQ">ご家族の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">父は心配していましたが、母は「あなたがいいと思うならいいわよ」と私の気持ちを尊重してくれました。夫は、提供が決まってから出会ったのですが、「すごいことだね」と驚いていました。当時はまだ結婚するなどとは思っていませんでしたが。</p>
<h3 class="qaQ">周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">フリーで仕事をしていたので、休みは自分でやりくりをすればいいわけでしたが、復帰できるかどうかは不安もありました。</p>
<h3 class="qaQ">提供が決まってから、特に気をつけたことはありますか？</h3>
<p class="qaA">特に気を付けたことはありませんでしたが、ご説明書という冊子にあるとおり、風邪をひかないように、けがをしないようにと注意しました。</p>
<h3 class="qaQ">コーディネート中に印象に残ったことは？</h3>
<p class="qaA">患者さんと適合してから各段階毎にコーディネーターや事務局の方がそれはそれは慎重にコーディネートを進められていたという印象があります。はじめはわかりませんでしたが、「病気で苦しんでいる方の、命に直接かかわるデリケートな問題を進めるためだからなのだ」ということが後になってわかるようになりました。 </p></div></div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">入院中のエピソードをお聞かせください</h3>
<p class="qaA">入院は初めての経験でしたので、期待と緊張が入り混じり当日を迎えました。そして、病室は小児病棟でした。小さな子供たちが、病院で生活している現実にとてもびっくりしました。私が骨髄を提供するために入院したことを知ったお父さんが息子さんに「〇〇君も、おねえちゃんに助けてもらえるといいね」と言っていました。その子が移植を待つ患者さんだったかどうかは定かではありませんが、健康な私たちには気づかないことがたくさんあるのだと思いました。</p>
<h3 class="qaQ">採取のときは緊張しましたか？</h3>
<p class="qaA">初めての経験でしたのでとても緊張しました。病室からストレッチャーに乗せられて、テレビドラマでしか見たことがない「命の現場」の手術室まで運ばれました。その部屋は煌々とライトついていました。自分がどうなるかしっかり見ておこうと思ったのですが、手の甲へ注射針が刺さり「痛い」と思った瞬間を最後に、目が覚めた時にはすでに提供が終わっていた。</p>
<h3 class="qaQ">採取後の痛みはありましたか？</h3>
<p class="qaA">採取後の痛みはドーンという腰痛で、こんなものかと意外でした。４階でエレベーターがない家に住んでいたので、退院後２～３日は階段昇降が大変でした。それでも仕事へは２日後に復帰しましたが、問題はありませんでした。</p>
<h3 class="qaQ">患者さんについてはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">知り合いにこうした患者さんがいたわけでもなく、また会ったこともないので、全く実感がわきませんでした。ところが患者さんからお手紙をいただき、「あー、移植がうまくいって、元気になったのだ」とわかると、本当に嬉しくなって、涙が出てしまいました。</p>
<h3 class="qaQ">あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします</h3>
<p class="qaA">当時、自分が世の中で何の役にも立っていないのではないかと悩んでいる時期でした。母からは「食べて寝ているだけ」と言われていました。人に心の底から「ありがとう」と言ってもらえることは、人生に何度もあることではないでしょう。そんな時、患者さんからのお手紙に「ありがとう」の文字がありました。この言葉から私が生きている存在価値をいただきました。患者さんには私の方こそ、ありがとうと言わせていただきます。</p>
<h3 class="qaQ">2回目の提供の機会があったらどうしますか？</h3>
<p class="qaA">もちろん、喜んで提供したいです。 </p></div></div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">Q. ドナー登録のきっかけは？<br />A. 献血をよくしていたので、献血ルームで骨髄バンクのチラシをもらい「骨髄バンク」の存在をしりました。登録したころのACのコマーシャルでは、アンディ―フグさんが出演されている作品でした。鍛えた肉体をもった方にも病魔が襲うんだと驚いたことを覚えています。<br />Q. 適合通知が来たときはどう思いましたか？<br />A. 適合のお知らせがどういう形で来るのか知らなかったので、なんだろうと思いました。1回目の適合は、登録後すぐでしたが、当時は声を使う仕事をしていたので少し心配していましたが、すぐに、コーディネートが終了となってしまいました。その後、2回目の適合のお知らせがまたきたので、こんなに簡単に合うものかと思いました。でも、提供するつもりで登録していたので、迷いはありませんでした。<br /></div>
<div class="pageBlock">Q. ご家族の反応はどうでしたか？<br />A. 父は心配していましたが、母は「あなたがいいと思うならいいわよ」と私の気持ちを尊重してくれました。夫は、提供が決まってから出会ったのですが、「すごいことだね」と驚いていました。当時はまだ結婚するなどとは思っていませんでしたが。<br />Q. 周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか？<br />A. フリーで仕事をしていたので、休みは自分でやりくりをすればいいわけでしたが、復帰できるかどうかは不安もありました。<br />Q. 提供が決まってから、特に気をつけたことはありますか？<br />A. 特に気を付けたことはありませんでしたが、ご説明書という冊子にあるとおり、風邪をひかないように、けがをしないようにと注意しました。 </div>
<div class="pageBlock">Q. コーディネート中に印象に残ったことは？<br />A. 患者さんと適合してから各段階毎にコーディネーターや事務局の方がそれはそれは慎重にコーディネートを進められていたという印象があります。はじめはわかりませんでしたが、「病気で苦しんでいる方の、命に直接かかわるデリケートな問題を進めるためだからなのだ」ということが後になってわかるようになりました。<br />Q. 入院中のエピソードをお聞かせください<br />A. 入院は初めての経験でしたので、期待と緊張が入り混じり当日を迎えました。そして、病室は小児病棟でした。小さな子供たちが、病院で生活している現実にとてもびっくりしました。私が骨髄を提供するために入院したことを知ったお父さんが息子さんに「〇〇君も、おねえちゃんに助けてもらえるといいね」と言っていました。その子が移植を待つ患者さんだったかどうかは定かではありませんが、健康な私たちには気づかないことがたくさんあるのだと思いました。 </div>
<div class="pageBlock">Q. 採取のときは緊張しましたか？<br />A. 初めての経験でしたのでとても緊張しました。病室からストレッチャーに乗せられて、テレビドラマでしか見たことがない「命の現場」の手術室まで運ばれました。その部屋は煌々とライトついていました。自分がどうなるかしっかり見ておこうと思ったのですが、手の甲へ注射針が刺さり「痛い」と思った瞬間を最後に、目が覚めた時にはすでに提供が終わっていた。<br />Q. 採取後の痛みはありましたか？<br />A. 採取後の痛みはドーンという腰痛で、こんなものかと意外でした。４階でエレベーターがない家に住んでいたので、退院後２～３日は階段昇降が大変でした。それでも仕事へは２日後に復帰しましたが、問題はありませんでした。 </div>
<div class="pageBlock">Q.患者さんについてはどう思いましたか？<br />A.知り合いにこうした患者さんがいたわけでもなく、また会ったこともないので、全く実感がわきませんでした。ところが患者さんからお手紙をいただき、「あー、移植がうまくいって、元気になったのだ」とわかると、本当に嬉しくなって、涙が出てしまいました。<br />Q.あなたが提供した患者さんへメッセージをお願いします。<br />A.当時、自分が世の中で何の役にも立っていないのではないかと悩んでいる時期でした。母からは「食べて寝ているだけ」と言われていました。人に心の底から「ありがとう」と言ってもらえることは、人生に何度もあることではないでしょう。そんな時、患者さんからのお手紙に「ありがとう」の文字がありました。この言葉から私が生きている存在価値をいただきました。患者さんには私の方こそ、ありがとうと言わせていただきます。<br />Q.2回目の提供の機会があったらどうしますか？<br />A.もちろん、喜んで提供したいです。</div>]]>
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<title>Vol.25：アンドレ・クート選手、平手晃平選手</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/interview/004904.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2010://1.3624</id>
<published>2010-05-24T03:49:34Z</published>
<updated>2010-11-19T05:23:39Z</updated>
<summary>今年から国内最高峰のモータースポーツイベントであるSUPER GTでは骨髄バンク支援活動をスタートさせました。きっかけはSUPER GTを戦うドライバーの1人、アンドレ・クート選手の息子、アフォンソくんが急性リンパ性白血病を発症したことです。アフォンソくんはもちろん、同じ病気で闘っている患者さんも助けたいと支援活動の輪が広がっています。SUPER GT第3戦が行われた富士スピードウェイでクート選手と同じチームの平手晃平選手に今のお気持ちを伺いました。</summary>
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<name>管理者</name>
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<category term="この人にインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="subBlock">
<h3><img src="<mt:BlogUrl />common/images/head_profile.gif" alt="プロフィール" width="39" height="9" /></h3>
<dl class="txtBlock">
<dt>アンドレ・クート（あんどれ・くーと）</dt>
<dd>1976年生まれ。ポルトガル出身。レーシングドライバー。現在はマカオ在住。1991年からカートレースを始め、1995年、フォーミュラ・オペル・ユーロシリーズで4輪レースデビュー。2000年のF3マカオGP優勝、翌年初来日し、全日本GT選手権と全日本選手権フォーミュラ・ニッポンの両シリーズを戦う。2002年にはヨーロッパに戻りワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦したほか、2003年にはヨーロッパツーリングカー選手権（ETCC）に参戦している。2004年に再び来日し、以降は全日本GT選手権・SUPER GTのGT500クラス、LEXUS TEAM SARDから参戦している。<dd>
<dt>平手晃平（ひらて・こうへい）</dt>
<dd>1986年生まれ。愛知県出身。レーシングドライバー。1999年に13歳でカートレースデビュー。2002年にフォーミュラ・トヨタに史上最年少で参戦を果たし、2005年からは海外のレースに参戦。2008年に日本へ活動の場を移し、フォーミュラ・ニッポンにIMPULから、またSUPER GTのGT300クラスにaprから参戦。2009年からSUPER GTのGT500クラスに LEXUS TEAM SARDから参戦している。<dd>
</dl>
</div>
<div class="mainBlock">
<strong>■SUPER GTシリーズ概要</strong>
<p class="cap">SUPER GTシリーズは、「箱レース」※を代表する国内最高峰のモータースポーツイベントであり、国内のみならず海外自動車メーカーも参戦し、様々な車種が競い合うレース。全8戦を全国各地のサーキット及びマレーシアで開催し、年間チャンピオンを決定する。500馬力と300馬力という異なる馬力の車両が同じレースで、カテゴリー毎で競いあう混走レースであり、2010年度は33チーム39台が登録。2人のドライバーが1台の車両を交代でドライブし、一年を通してシリーズチャンピオンの座を目指す。1994年に全日本GT選手権（JGTC）としてスタートし、2005年にSUPER GTとなり、今年で17年目のシーズンを迎える。2009年度の観客動員数は延べ約45万人を達成し、名実ともに日本を代表するモータースポーツとして位置づけられる。<br />※「箱レース」とは、市販乗用車を用いたサーキットで行われる自動車レースの総称</p>
<p>クート：もともとアフォンソは週に2～3回サッカーをやっているような活発な子で、私も時間がある限り練習を観にいったり、試合を応援しに行ったりしていました。ある日、彼のプレイしているときのフォームがおかしくなってきて、それと同時に背中が痛いと訴えてきたんです。痛みが無くなったり、出たりの繰り返しで1週間、10日と経ち、これはおかしいんじゃないかという話になって、病院に行きました。</p>
<p>「息子さんの病気は白血病です」と言われたときは、ショックが大きすぎました。こんなことが自分の身に降りかかるとは思っていないし、気持ちの準備をしているわけでもなかったので。自分の両親が病気になったのであれば、それは順番なので心の準備もできますが、実際に病気になったのは息子だったので、ショック以外なにものでもなかったです。</p>
<p>骨髄バンクや骨髄移植については、言葉として聞いたことはありましたけど、それについて詳しく知っているのかといえば、そんなことはなかったです。ポルトガルで女の子が白血病で骨髄ドナーを探しているといったニュースがあったのを覚えているぐらいでした。今はアフォンソの病気について勉強しましたので、骨髄移植や骨髄バンクがどういうものかはわかっています。ヨーロッパでは骨髄バンクについて非常に理解があるし、認知もされています。</p>
<p>今後は皆さまの協力を得て、ドナー登録者を増やしていく活動をしていきたいです。白血病はお医者さんの力が半分、残りの半分はドナーさんがいないと治すことはできません。また、よく誤解されるのは、骨髄移植は臓器移植ではありません。一人でも多くの方に登録してもらえれば、それだけ適合する確率も高くなります。アフォンソだけでなく、同じ病気で闘っている誰かの命が救えるかもしれないので、ぜひ協力してほしいと思っています。</p>
<span><img alt="vol25-02.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol25-02.jpg" width="250" height="238" class="mt-image-none" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto;" /></span>
<center>
<p class="cap">パンフレット配布ボランティアの皆さんと（富士スピードウェイ）</p>
</center>
</div>
</div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<p>平手：僕も白血病のことはまったく知らなかったので、初めて息子さんのことを聞いたときはショックというより、重たい病気が見つかったんだろうとしか思えませんでした。彼の態度はいつもとまったく違い、明らかに表情にも出ていたので、これはただごとじゃないと感じました。</p>
<p>ドナー登録については臓器移植のイメージがあり、結構大変なことだろうなぁと思っていました。僕も少しずつ勉強して、骨髄ドナー登録自体は採血だけで済むことを知りました。今回のことをきっかけに自分もそうですし、たくさんの方に骨髄バンクを知ってもらいたいと考えるようになりました。レース関係者で実際にドナー登録をしたということを聞いていないので、僕がきっかけとなりサーキットにいる人たちが、僕も！私も！と手を挙げてくれるんじゃないかと。それで、明日ドナー登録することに決めました。</p>
<p>実は献血もしたことがありません。冗談抜きで恥ずかしいんですけど、ちょっと...注射が苦手なもので...。緊張するのは針がささる瞬間なので、いま緊張することはありませんが、1日でも早く、みんなに呼びかけられるようなりたいと思っています。</p>
<p>もしも自分が病気になって、ドナーさんが必要になったとき「私ドナー登録します」と言ってくれる人が増えればそれだけ助かる可能性が広がりますよね。ドナー登録をためらう人もいるでしょうが、ぜひ、迷わずに登録してほしいと思います。</p>
<span><img alt="vol25-03.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol25-03.jpg" width="250" height="236" class="mt-image-none" style="text-align: center; display: block; margin: 20px auto 0;" /></span>
<center><p class="cap">登録後、ドナーカードを持って記念撮影</p></center>
<i>ドナーズネットから追記</br>5月12日にクート選手の息子、アフォンソくんにドイツの骨髄バンクを通じてドナーが見つかったという発表がありました。治療の成功を心よりお祈りしています。</br>
LEXUS TEAM SARDからのお願いとお知らせ</br>
<a href="http://www.sard.co.jp/race_r/r2010/news/20100224.html" target="_blank">http://www.sard.co.jp/race_r/r2010/news/20100224.html</a></i>
</div>
</div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div align="center">----------</div>
[プロフィール]<br />
あんどれ・くーと／1976年生まれ。ポルトガル出身。レーシングドライバー。現在はマカオ在住。1991年からカートレースを始め、1995年、フォーミュラ・オペル・ユーロシリーズで4輪レースデビュー。2000年のF3マカオGP優勝、翌年初来日し、全日本GT選手権と全日本選手権フォーミュラ・ニッポンの両シリーズを戦う。2002年にはヨーロッパに戻りワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦したほか、2003年にはヨーロッパツーリングカー選手権（ETCC）に参戦している。2004年に再び来日し、以降は全日本GT選手権・SUPER GTのGT500クラス、LEXUS TEAM SARDから参戦している。<br>
ひらて・こうへい／19851986年生まれ。愛知県出身。レーシングドライバー。1999年に13歳でカートレースデビュー。2002年にフォーミュラ・トヨタに史上最年少で参戦を果たし、2005年からは海外のレースに参戦。2008年に日本へ活動の場を移し、フォーミュラ・ニッポンにIMPULから、またSUPER GTのGT300クラスにaprから参戦。2009年からSUPER GTのGT500クラスに LEXUS TEAM SARDから参戦している。<br>
<div align="center">----------</div>
<br />
■SUPER GTシリーズ概要</br>SUPER GTシリーズは、「箱レース」※を代表する国内最高峰のモータースポーツイベントであり、国内のみならず海外自動車メーカーも参戦し、様々な車種が競い合うレース。全8戦を全国各地のサーキット及びマレーシアで開催し、年間チャンピオンを決定する。500馬力と300馬力という異なる馬力の車両が同じレースで、カテゴリー毎で競いあう混走レースであり、2010年度は33チーム39台が登録。2人のドライバーが1台の車両を交代でドライブし、一年を通してシリーズチャンピオンの座を目指す。1994年に全日本GT選手権（JGTC）としてスタートし、2005年にSUPER GTとなり、今年で17年目のシーズンを迎える。2009年度の観客動員数は延べ約45万人を達成し、名実ともに日本を代表するモータースポーツとして位置づけられる。</br>※「箱レース」とは、市販乗用車を用いたサーキットで行われる自動車レースの総称
</div><br>
<div align="center">----------</div>
<div class="pageBlock">
クート：もともとアフォンソは週に2～3回サッカーをやっているような活発な子で、私も時間がある限り練習を観にいったり、試合を応援しに行ったりしていました。ある日、彼のプレイしているときのフォームがおかしくなってきて、それと同時に背中が痛いと訴えてきたんです。痛みが無くなったり、出たりの繰り返しで1週間、10日と経ち、これはおかしいんじゃないかという話になって、病院に行きました。</br></br>「息子さんの病気は白血病です」と言われたときは、ショックが大きすぎました。こんなことが自分の身に降りかかるとは思っていないし、気持ちの準備をしているわけでもなかったので。自分の両親が病気になったのであれば、それは順番なので心の準備もできますが、実際に病気になったのは息子だったので、ショック以外なにものでもなかったです。</br></br>骨髄バンクや骨髄移植については、言葉として聞いたことはありましたけど、それについて詳しく知っているのかといえば、そんなことはなかったです。ポルトガルで女の子が白血病で骨髄ドナーを探しているといったニュースがあったのを覚えているぐらいでした。今はアフォンソの病気について勉強しましたので、骨髄移植や骨髄バンクがどういうものかはわかっています。ヨーロッパでは骨髄バンクについて非常に理解があるし、認知もされています。</br></br>今後は皆さまの協力を得て、ドナー登録者を増やしていく活動をしていきたいです。白血病はお医者さんの力が半分、残りの半分はドナーさんがいないと治すことはできません。また、よく誤解されるのは、骨髄移植は臓器移植ではありません。一人でも多くの方に登録してもらえれば、それだけ適合する確率も高くなります。アフォンソだけでなく、同じ病気で闘っている誰かの命が救えるかもしれないので、ぜひ協力してほしいと思っています。<br></div>
<div class="pageBlock">
平手：僕も白血病のことはまったく知らなかったので、初めて息子さんのことを聞いたときはショックというより、重たい病気が見つかったんだろうとしか思えませんでした。彼の態度はいつもとまったく違い、明らかに表情にも出ていたので、これはただごとじゃないと感じました。</br></br>ドナー登録については臓器移植のイメージがあり、結構大変なことだろうなぁと思っていました。僕も少しずつ勉強して、骨髄ドナー登録自体は採血だけで済むことを知りました。今回のことをきっかけに自分もそうですし、たくさんの方に骨髄バンクを知ってもらいたいと考えるようになりました。レース関係者で実際にドナー登録をしたということを聞いていないので、僕がきっかけとなりサーキットにいる人たちが、僕も！私も！と手を挙げてくれるんじゃないかと。それで、明日ドナー登録することに決めました。</br></br>実は献血もしたことがありません。冗談抜きで恥ずかしいんですけど、ちょっと...注射が苦手なもので...。緊張するのは針がささる瞬間なので、いま緊張することはありませんが、1日でも早く、みんなに呼びかけられるようなりたいと思っています。</br></br>もしも自分が病気になって、ドナーさんが必要になったとき「私ドナー登録します」と言ってくれる人が増えればそれだけ助かる可能性が広がりますよね。ドナー登録をためらう人もいるでしょうが、ぜひ、迷わずに登録してほしいと思います。</br></br>ドナーズネットから追記</br>
5月12日にクート選手の息子、アフォンソくんにドイツの骨髄バンクを通じてドナーが見つかったという発表がありました。治療の成功を心よりお祈りしています。 </div>]]>
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<title>Vol.30：穴澤良幸さん</title>
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<published>2010-05-24T00:27:24Z</published>
<updated>2010-11-18T10:50:59Z</updated>
<summary>穴澤良幸さんは、高校の国語の先生をしています。息子（次男）さんが５歳の時、白血病と診断されましたが、幸い兄弟（長男）とHLA型が一致し、骨髄移植することができて元気になりました。困っている患者さんや家族の人の役に立ちたいと思いから登録し、先日２回目の提供をしました。</summary>
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<name>管理者</name>
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<category term="提供者さんインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">ドナー登録のきっかけは？</h3>
<p class="qaA">次男が５歳の時、原因不明の熱が３日ほど続き、病院に行ったところ急性リンパ性白血病と診断されました。病気を知ったときは「うそ？なぜ私たちの子供が？」という思いで、頭がパンクしそうでした。幸い長男と白血球の型（HLA型）が一致し、骨髄移植することができ、今ではとても元気に生活しております。入院中は、妻は早起きが苦手でしたが、早く会いたい一心で慣れない満員電車に乗り病院に行き、夜10時近くに帰ってくる生活で、疲れ切っていました。また、長男は７歳で、骨髄提供することが怖かったようですが、「僕がんばるよ！」と言って提供してくれました。しかし、家族がこんなに頑張っているのに自分は何もしていないとう思いがどこかに残っていました。次男が骨髄移植してすぐに、「困っている患者さんや家族の人の役に立ちたい」と骨髄バンクに登録しました。 </p>
<h3 class="qaQ">適合通知が来たときはどう思いましたか？</h3>
<p class="qaA">今登録して２年後に、自宅に骨髄バンクから封書が届きました。ある程度覚悟はできていたので「とうとうきたか・・・」と思いましたが、提供することに迷いはありませんでした。『情けは人の為ならず』ということわざがあります。情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にするべきだと思っています。息子が助かったのも何かのお陰で、自分が提供することが自分や家族のためになると思いますし、恩返しができ嬉しいです。</p>
<h3 class="qaQ">ご家族の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">妻も喜んでくれましたし、私よりも前に提供している長男は「パパがんばって！僕にもできたから大丈夫だよ」といって応援してくれました。</p>
<h3 class="qaQ">職場の方の反応はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">私は高校で国語の教師をしているのですが、入院する間の授業を前倒しで行い、別の学科と入れ替えてもらい、同僚も助けてくれました。また子供が病気になったことも知っていましたので、快く引き受けてくれました。</p>
<h3 class="qaQ">入院中のエピソードをお聞かせください</h3>
<p class="qaA">小学校の時に敗血症で入院したことがあったので、なんとなく入院生活は想像がついていました。毎日、夜に腹筋と腕立て伏せをする習慣があるのですが、入院中にも継続してやったところ血糖値が上がってしまい、看護婦さんに怒られてしましました（笑）。また採取する日に、妻と子供がお見舞いに来てくれて嬉しかったです。</p>
</div>
</div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<h3 class="qaQ">採取のときは緊張しましたか？</h3>
<p class="qaA">全身麻酔は初めてでしたので、少し緊張していました。話を聞いていたとおり、眠ってしまった後は何も覚えていません。採取したところは、ぜんぜん痛みを感じなかったですね。ちょっと腰が重く感じたぐらいです。事前に「採取後は痛みがあります」と説明を受けていたので、逆に痛みが無いことが意外でした。</p>
<h3 class="qaQ">採取後はどうでしたか？</h3>
<p class="qaA">麻酔が切れたときは、腰のあたりの重い痛みがありました。トイレに行きたかったのですが、腰に力が入らず普通に歩けるようになるには２日くらいかかりました。正直、カテーテル（※膀胱内に細い管を留置して、尿を体外に導き出す方法）を抜くときも、言葉で表せないような痛みがありました。しかし、提供した後に後悔は全くなく、こんなことで人の命が助かるならこの痛みなんて軽いものだと思います。その後、提供した患者さんからお手紙をもらい、感謝の気持ちがあふれていました。その方は、病気の経過が悪かったのか、移植後のDLI（※ドナーリンパ球輸注と呼ばれ、移植後に再発した場合に骨髄提供ドナーからリンパ球を輸血するものです）も依頼され、病院に行き採血しました。その患者さんが、今も元気でいることを願っています。</p>
<h3 class="qaQ">最近2度目の骨髄提供をされたようですね</h3>
<p class="qaA">はい。今回の適合通知を受け取った時、全く関係ないかもしれませんが、息子が病気になったことで、私が骨髄バンクに登録した因果関係があるかもしれないと思いました。　提供後は1年間の保留になり、その保留が解けたらすぐに適合しました。今回の提供は学校の春休みに当たったので、良かったです。</p>
<h3 class="qaQ">学校の生徒さんに全体集会の時、骨髄バンクのお話をされたようですね</h3>
<p class="qaA">はい。「18歳の証明」という卒業式に配布するチラシを骨髄バンクからいただきました。あるホームページであるドナー経験者のエピソードを見たときに、「やらぬ善よりやる偽善」という言葉がありました。良いことをやらないよりかは、偽善でもいいのでやってみようと背中を押される感じがしました。 
</p>
<span><img alt="vol30-2.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/offer/vol30-2.jpg" width="250" height="180" class="mt-image-none" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>
</div></div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">
Q. ドナー登録のきっかけは？<br />
A. 次男が５歳の時、原因不明の熱が３日ほど続き、病院に行ったところ急性リンパ性白血病と診断されました。病気を知ったときは「うそ？なぜ私たちの子供が？」という思いで、頭がパンクしそうでした。幸い長男と白血球の型（HLA型）が一致し、骨髄移植することができ、今ではとても元気に生活しております。入院中は、妻は早起きが苦手でしたが、早く会いたい一心で病院に行き、夜10時近くに帰ってくる生活で、疲れ切っていました。また、長男は７歳で、骨髄提供することが怖かったようですが、「僕がんばるよ！」と言って提供してくれました。しかし、家族がこんなに頑張っているのに自分は何もしていないとう思いがどこかに残っていました。次男が骨髄移植してすぐに、「困っている患者さんや家族の人の役に立ちたい」と骨髄バンクに登録しました。<br />
Q. 適合通知が来たときはどう思いましたか？<br />
A. 今登録して２年後に、自宅に骨髄バンクから封書が届きました。ある程度覚悟はできていたので「とうとうきたか・・・」と思いましたが、提供することに迷いはありませんでした。『情けは人の為ならず』ということわざがあります。情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にするべきだと思っています。息子が助かったのも何かのお陰で、自分が提供することが自分や家族のためになると思いますし、恩返しができ嬉しいです。<br />
</div>
<div class="pageBlock">
Q. ご家族の反応はどうでしたか？<br />
A. 妻も喜んでくれましたし、私よりも前に提供している長男は「パパがんばって！僕にもできたから大丈夫だよ」といって応援してくれました。
Q. 職場の方の反応はどうでしたか？<br />
A. 私は高校で国語の教師をしているのですが、入院する間の授業を前倒しで行い、別の学科と入れ替えてもらい、同僚も助けてくれました。また子供が病気になったことも知っていましたので、快く引き受けてくれました。
Q. 入院中のエピソードをお聞かせください<br />
A. 小学校の時に敗血症で入院したことがあったので、なんとなく入院生活は想像がついていました。毎日、夜に腹筋と腕立て伏せをする習慣があるのですが、入院中にも継続してやったところ血糖値が上がってしまい、看護婦さんに怒られてしましました（笑）。また採取する日に、妻と子供がお見舞いに来てくれて嬉しかったです。
</div>
<div class="pageBlock">
Q. 採取のときは緊張しましたか？<br />
A. 全身麻酔は初めてでしたので、少し緊張していました。話を聞いていたとおり、眠ってしまった後は何も覚えていません。採取したところは、ぜんぜん痛みを感じなかったですね。ちょっと腰が重く感じたぐらいです。事前に「採取後は痛みがあります」と説明を受けていたので、逆に痛みが無いことが意外でした。
Q. 採取後はどうでしたか？<br />
A. 麻酔が切れたときは、腰のあたりの重い痛みがありました。トイレに行きたかったのですが、腰に力が入らず普通に歩けるようになるには２日くらいかかりました。正直、カテーテル（※膀胱内に細い管を留置して、尿を体外に導き出す方法）を抜くときも、言葉で表せないような痛みがありました。しかし、提供した後に後悔は全くなく、こんなことで人の命が助かるならこの痛みなんて軽いものだと思います。その後、提供した患者さんからお手紙をもらい、感謝の気持ちがあふれていました。その方は、病気の経過が悪かったのか、移植後のDLI（※ドナーリンパ球輸注と呼ばれ、移植後に再発した場合に骨髄提供ドナーからリンパ球を輸血するものです）も依頼され、病院に行き採血しました。その患者さんが、今も元気でいることを願っています。
</div>
<div class="pageBlock">
Q. 最近2度目の骨髄提供をされたようですね<br />
A. はい。今回の適合通知を受け取った時、全く関係ないかもしれませんが、息子が病気になったことで、私が骨髄バンクに登録した因果関係があるかもしれないと思いました。　提供後は1年間の保留になり、その保留が解けたらすぐに適合しました。今回の提供はちょうど学校の春休みに当たったので、良かったです。
Q. 学校の生徒さんに全体集会の時、骨髄バンクのお話をされたようですね<br />
A. はい。「18歳の証明」という卒業式に配布するチラシを骨髄バンクからいただきました。あるホームページであるドナー経験者のエピソードを見たときに、「やらぬ善よりやる偽善」という言葉がありました。良いことをやらないよりかは、偽善でもいいのでやってみようと背中を押される感じがしました。
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<title>Vol.24：宮澤ミシェルさん</title>
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<id>tag:www.donorsnet.jp,2010://1.3515</id>
<published>2010-01-14T04:30:04Z</published>
<updated>2010-11-18T10:28:17Z</updated>
<summary>サッカー解説者の宮澤ミシェルさんは、昨年ドナー登録をしました。さらに骨髄バンクのイベントではトークショーに出演していただくなど支援活動を展開中。今後も骨髄バンクのドナー登録を広めていくメッセンジャーとして幅広く活動していきたいという宮澤さんに意気込みを伺いました。</summary>
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<name>管理者</name>
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<category term="この人にインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="subBlock">
<h3><img src="<mt:BlogUrl />common/images/head_profile.gif" alt="プロフィール" width="39" height="9" /></h3>
<dl class="txtBlock">
<dt>宮澤ミシェル（みやざわ・みしぇる）</dt>
<dd>1963年生まれ。千葉県出身。現役引退後、サッカー解説を中心に情報・バラエティ番組等に幅広く活躍する傍ら1997年には帝京高校のコーチに就任。高校選手権準優勝に導きチームに貢献。1998年ワールド杯フランス大会、1999年南米選手権には現地におもむき、実況解説をする。Ｊリーグをはじめフランスリーグ・スペインリーグ等、NHK・ＢＳ・ＣＳ局で世界を視野に入れた解説を行っている。2002年ワールド杯ＫＯＲＥＡ／ＪＡＰＡＮ大会でNHKのメイン解説者として参加。現在もNHKサッカー・日刊スポーツサッカー解説者として活躍中。また、自らの経験をいかして独自で学んだ世界観を各種イベント、講演会等を通して伝え、全国の子供から学生を対象にしたサッカー指導も積極的に行っている。<dd>
</dl>
</div>
<div class="mainBlock">
<p>テレビ番組などで「骨髄バンク」は認知していましたが、実際に何かをすることはありませんでした。献血もしたことはなかったし、病気の人たちを支援するイベントはやらせてもらったことがあるけど、今回のドナー登録のように自分から動き出したのは初めてです。</p>
<p>骨髄バンクがあってもまだまだドナーが足りないという話を聞き、何かできることはないかと考えました。その答えがドナー登録だったんですけど、いろいろな資料を読むと、実際に提供するとなると結構大変じゃないですか。大変さをわかった上ですぐに登録するよとは言えなかったですね。しばらく迷いましたが、患者さんのためならと思い、ドナー登録を決意しました。</p>
<p>昨年の10月に骨髄バンクのトークショー※1に出演させてもらいました。提供した人や移植を受けた患者さんが元気になった姿を目の当たりにしました。患者さん、ドナーさんの双方に会えて、あらためて骨髄バンクの大切さを教えられたような気がします。</p>
<span><img alt="vol24-2.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol24-2.jpg" width="250" height="219" class="mt-image-none" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>
<p>※1　2009年10月3日にお台場のヴィーナスフォートで行われた「骨髄バンク推進イベント 2009 ライオンズデー ひとりずつ、ひとつ以上できる事がある。」の中で宮澤さんと提供したドナーさんのトークショーを開催</p>
</div>
</div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<p>人間が一人でできることは小さくても微力と微力がつながっていけば、大きな力になるんです。それは経験からくるもので、僕もたくさんの方から助けてもらってきたので、今度は僕がそれをする番だと。だから今病気と闘っている患者さんには、「がんばるから、待っててくれよ」と言いたいです。</p>
<p>ドナーさんも何かの思いがあって登録されたはずです。登録だけで終わらせるのではなく、たとえば友達に「骨髄バンクに登録したんだけど、お前も考えて見ないか」と言ってみるとか。決して恥ずかしいことではなく素晴らしいことですよね。みんなもメッセンジャーとなって、新たな一歩を踏み出してほしいし、僕もたくさんの人に骨髄バンクのことを伝えていくつもりです。これまでサッカー教室や講演会などで日本中を回っていましたが、今はそれと同時に骨髄バンクを広める活動をする時期が来たんだと感じています。</p>
<span><img alt="vol24-3.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol24-3.jpg" width="250" height="202" class="mt-image-none" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>
</div>
</div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div align="center">----------</div>
[プロフィール]<br />
みやざわ・みしぇる／1963年生まれ。千葉県出身。現役引退後、サッカー解説を中心に情報・バラエティ番組等に幅広く活躍する傍ら1997年には帝京高校のコーチに就任。高校選手権準優勝に導きチームに貢献。1998年ワールド杯フランス大会、1999年南米選手権には現地におもむき、実況解説をする。Ｊリーグをはじめフランスリーグ・スペインリーグ等、NHK・ＢＳ・ＣＳ局で世界を視野に入れた解説を行っている。2002年ワールド杯ＫＯＲＥＡ／ＪＡＰＡＮ大会でNHKのメイン解説者として参加。現在もNHKサッカー・日刊スポーツサッカー解説者として活躍中。また、自らの経験をいかして独自で学んだ世界観を各種イベント、講演会等を通して伝え、全国の子供から学生を対象にしたサッカー指導も積極的に行っている。
<div align="center">----------</div>
<br />
テレビ番組などで「骨髄バンク」は認知していましたが、実際に何かをすることはありませんでした。献血もしたことはなかったし、病気の人たちを支援するイベントはやらせてもらったことがあるけど、今回のドナー登録のように自分から動き出したのは初めてです。<br>
骨髄バンクがあってもまだまだドナーが足りないという話を聞き、何かできることはないかと考えました。その答えがドナー登録だったんですけど、いろいろな資料を読むと、実際に提供するとなると結構大変じゃないですか。大変さをわかった上ですぐに登録するよとは言えなかったですね。しばらく迷いましたが、患者さんのためならと思い、ドナー登録を決意しました。<br>
昨年の10月に骨髄バンクのトークショー※1に出演させてもらいました。提供した人や移植を受けた患者さんが元気になった姿を目の当たりにしました。患者さん、ドナーさんの双方に会えて、あらためて骨髄バンクの大切さを教えられたような気がします。<br><br>※1　2009年10月3日にお台場のヴィーナスフォートで行われた「骨髄バンク推進イベント 2009 ライオンズデー ひとりずつ、ひとつ以上できる事がある。」の中で宮澤さんと提供したドナーさんのトークショーを開催
</div><br>
<div align="center">----------</div>
<div class="pageBlock">
人間が一人でできることは小さくても微力と微力がつながっていけば、大きな力になるんです。それは経験からくるもので、僕もたくさんの方から助けてもらってきたので、今度は僕がそれをする番だと。だから今病気と闘っている患者さんには、「がんばるから、待っててくれよ」と言いたいです。</div><br>
<div align="center">----------</div>
<div class="pageBlock">
ドナーさんも何かの思いがあって登録されたはずです。登録だけで終わらせるのではなく、たとえば友達に「骨髄バンクに登録したんだけど、お前も考えて見ないか」と言ってみるとか。決して恥ずかしいことではなく素晴らしいことですよね。みんなもメッセンジャーとなって、新たな一歩を踏み出してほしいし、僕もたくさんの人に骨髄バンクのことを伝えていくつもりです。これまでサッカー教室や講演会などで日本中を回っていましたが、今はそれと同時に骨髄バンクを広める活動をする時期が来たんだと感じています。</div>]]>
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<title>Vol.23:大野あづささん 林晴香さん</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/interview/004897.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2009://1.3460</id>
<published>2009-10-26T03:39:27Z</published>
<updated>2010-11-18T10:31:38Z</updated>
<summary>ガールスカウトをしている大学生で、骨髄バンクとタイアップした映画「私の中のあなた」の試写会で募金活動をしていただきました。ガールスカウトは現在世界145の国や地域で、約1000万人の会員が活動している、少女と若い女性のための世界最大の社会教育団体です。「少女と若い女性が責任ある世界市民として、自ら考え、行動できる人となる」ことを目指して活動しています。映画を通して、骨髄バンクへ興味が沸いたそうです。</summary>
<author>
<name>管理者</name>
</author>
<category term="この人にインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="subBlock">
<h3><img src="<mt:BlogUrl />common/images/head_profile.gif" alt="プロフィール" width="39" height="9" /></h3>
<dl class="txtBlock">
<dt>大野あづさ／右</dt>
<dd>1988年生まれ。大学生でガールスカウトを通じてボランティア活動をする</dd>
<dt>林晴香／左</dt>
<dd>1985年生まれ。小学校の授業補助指導員でガールスカウトを通じてボランティア活動をする </dd>
</dl>
</div>
<div class="mainBlock">
<p><span class="txtBold">「私の中のあなた」</span>　</br>
「私の中のあなた」ストーリー
13歳のアナ（アビゲイル・ブレスリン）は、白血病を患う姉・ケイトに臓器を提供するドナーとして、遺伝子操作によって生まれたデザインベイビーだった。彼女は、輸血や骨髄移植など様々な犠牲を強いられてきたが、ケイトの病状は一進一退。アナは「もう姉のために手術を受けるのは嫌」と弁護士を雇い訴訟を起こす。「自分の身体は自分で守りたい」と両親を訴えるアナ。ケイトを最優先に考え、アナに迫る母親（キャメロン・ディアス）、何も出来ない父親、非行に走る兄、そしてアナの協力がなければ死んでしまう姉。アナと家族の戦いが始まった――。実話を基に著したベストセラー「わたしのなかのあなた」を原作にしたヒューマン・ドラマ。</p>
<span><img alt="watashi_movie.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/watashi_movie.jpg" width="200" height="283" class="mt-image-none" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>
<p><span class="txtBold">大野さん</span>　私がガールスカウトを始めたきっかけは、友達を作るきっかけになればと母が薦めてくれ、見学に行ったところとても楽しそうで迷うことなく入りました。</p>
<p><span class="txtBold">林さん</span>　私は小学生の時にガールスカウトに入りました。そのころからアウトドアがとても好きで、友達がキャンプに行っていることが羨ましかったんです。ガールスカウトはアウトドア活動も盛んでしたので。</p>
<div class="photo">
<span><img alt="vol23-02.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol23-02.jpg" width="250" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p class="cap">試写会での活動風景</p>
</div>
</div>
</div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<p><span class="txtBold">大野さん</span>　私は高校生の時に、偶然見たテレビの番組で骨髄バンクのことを知りました。白血病の子供が骨髄移植でしか助かる方法がなく、ドナーが見つからずに亡くなってしまうというもので、母と一緒に悲しくて泣いてしまいました。少しでも私にできることがないかとインターネットで調べていました。</p>
<p><span class="txtBold">林さん</span>　私もテレビのニュースやCMなどを見て、「骨髄バンク」という言葉は知っていましたが、どういうことをするのかは今まで詳しく知りませんでした。</p>
<p><span class="txtBold">大野さん</span>　この映画を見て、家族の絆が大事だということを改めて感じました。患者である長女ケイトが闘病生活を送っている中で家族の葛藤を描いたシーンでは、胸が熱くなりました。私たちは、ちょっとした勇気で人を助けることができます。映画鑑賞を通じて、人の命の大切さを再認識し、背中を押してもらったような気がします。</p>
<p><span class="txtBold">林さん</span>　私も映画を見てとても感動し、涙が止まりませんでした。ガールスカウトを通じて、老人ホームの訪問や募金活動などのボランティア活動をしていましたが、私が直接人の命を助けられるボランティアがあることを知りました。映画を薦めることを第一歩に、周りの人に骨髄バンク、骨髄移植、ドナー登録について知ってもらい、考えてもらい、そして一歩を踏み出す機会を提供していきたいと思います。また、骨髄バンクのボランティアをする機会があったら、是非参加したいと思います。</p>
<div class="photo">
<span><img alt="vol23-3.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol23-3.jpg" width="250" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p class="cap">たくさんの方に募金していただきました</p>
</div>
</div>
</div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div align="center">----------</div>
[プロフィール]<br />
おおの・あづさ／1988年生まれ。大学生でガールスカウトを通じてボランティア活動をする<br>
はやし・はるか／1985年生まれ。小学校の授業補助指導員でガールスカウトを通じてボランティア活動をする<br>
<div align="center">----------</div>
<br />
「私の中のあなた」ストーリー
13歳のアナ（アビゲイル・ブレスリン）は、白血病を患う姉・ケイトに臓器を提供するドナーとして、遺伝子操作によって生まれたデザインベイビーだった。彼女は、輸血や骨髄移植など様々な犠牲を強いられてきたが、ケイトの病状は一進一退。アナは「もう姉のために手術を受けるのは嫌」と弁護士を雇い訴訟を起こす。「自分の身体は自分で守りたい」と両親を訴えるアナ。ケイトを最優先に考え、アナに迫る母親（キャメロン・ディアス）、何も出来ない父親、非行に走る兄、そしてアナの協力がなければ死んでしまう姉。アナと家族の戦いが始まった――。実話を基に著したベストセラー「わたしのなかのあなた」を原作にしたヒューマン・ドラマ。</div><br>
<div align="center">----------</div>
<div class="pageBlock">
大野さん：私がガールスカウトを始めたきっかけは、友達を作るきっかけになればと母が薦めてくれ、見学に行ったところとても楽しそうで迷うことなく入りました。<br>
林さん：私は小学生の時にガールスカウトに入りました。そのころからアウトドアがとても好きで、友達がキャンプに行っていることが羨ましかったんです。ガールスカウトはアウトドア活動も盛んでしたので。<br>
<div class="pageBlock">
大野さん：私は高校生の時に、偶然見たテレビの番組で骨髄バンクのことを知りました。白血病の子供が骨髄移植でしか助かる方法がなく、ドナーが見つからずに亡くなってしまうというもので、母と一緒に悲しくて泣いてしまいました。少しでも私にできることがないかとインターネットで調べていました。</br>
林さん：私もテレビのニュースやCMなどを見て、「骨髄バンク」という言葉は知っていましたが、どういうことをするのかは今まで詳しく知りませんでした。</br>
大野さん：この映画を見て、家族の絆が大事だということを改めて感じました。患者である長女ケイトが闘病生活を送っている中で家族の葛藤を描いたシーンでは、胸が熱くなりました。私たちは、ちょっとした勇気で人を助けることができます。映画鑑賞を通じて、人の命の大切さを再認識し、背中を押してもらったような気がします。</br>
林さん：私も映画を見てとても感動し、涙が止まりませんでした。ガールスカウトを通じて、老人ホームの訪問や募金活動などのボランティア活動をしていましたが、私が直接人の命を助けられるボランティアがあることを知りました。映画を薦めることを第一歩に、周りの人に骨髄バンク、骨髄移植、ドナー登録について知ってもらい、考えてもらい、そして一歩を踏み出す機会を提供していきたいと思います。また、骨髄バンクのボランティアをする機会があったら、是非参加したいと思います。</div>]]>
</content>
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<entry>
<title>Vol.22：戸田浩司さん</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/interview/004896.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2009://1.3440</id>
<published>2009-10-01T07:14:42Z</published>
<updated>2010-11-18T10:10:42Z</updated>
<summary>『骨髄バンク8万人登録運動』のきっかけとなった戸田浩司さんが、読売巨人軍の「骨髄バンクシリーズ」で始球式を務めました！戸田さんは血液の病気で骨髄移植を必要としており、骨髄バンク支援をお願いする手紙を巨人軍ことが出したことがこのような骨髄バンク支援のきっかけとなりました。
高知大学の元野球部でピッチャーとして大学リーグなどで活躍しており、みごとなサイドスローを見せていただきました！</summary>
<author>
<name>管理者</name>
</author>
<category term="この人にインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="subBlock">
<h3><img src="<mt:BlogUrl />common/images/head_profile.gif" alt="プロフィール" width="39" height="9" /></h3>
<dl class="txtBlock">
<dt>戸田浩司（とだこうじ）</dt>
<dd>1986年生まれ。高知県出身。土佐中・高校の野球部で活躍し、進学した高知大学でも野球部に入部し活躍。しかし、2005 年EB ウイルス感染が原因の血液腫瘍を発症。自らの呼びかけで、当時目標だったドナー登録者30万人が8万人で達成となることから『骨髄バンク8万人登録運動』が始まった。この運動は、日本の教育・スポーツ・文化・マスコミ等各界の共感を得て全国に広り、ドナー登録者の増加につながったが、一致するドナーは現れなかった。そのため、弟から「末梢血造血幹細胞移植」を受ける。移植に伴うGVHD（免疫拒絶反応）の壮絶な闘いを経て退院し、復学。<dd>
</dl>
</div>
<div class="mainBlock">
<p>大学一年の夏、大学のリーグ戦が始まって次の日先発予告されていた前日に熱が出て具合が悪くなりました。たまたま次の日が雨が降って、一週間試合が延びたんです。初めは風邪だと思い、登板する試合まで一週間あるから熱くらい治るだろうと思っていました。なかなか回復せず病院に行ったところ、すぐ入院と言われました。病名は「慢性活動性EBウイルス感染症」です。「テレビみたいなことがあるんだな・・・」としばらくは自分の事とは思えませんでした。</p>
<p>僕の病気は日本国内では症例があまりない珍しい病気で、治療データも数少なく、まだ分かっていないことも数多くありました。そんな病気になり、自分のことを「なんて運の悪い奴なんだ・・・」と思いました。抗がん剤と免疫抑制剤で治療していたのですが、完治するには骨髄移植が必要でした。治療はほとんど白血病と同じで、大量の薬を投与するので、顔はパンパンにはれてしまい、髪の毛は抜け落ちました。</p>
<p>骨髄バンクでドナーを探しましたが、HLA型が合う人は見つかりませんでした。「僕は助からないけど、他の誰かを救ってほしい」という気持ちからドナー登録を広める活動を友達から始めました。そして僕の周りの人も賛同してくださり、徐々に輪は広がっていきました。当時（2005年12月）あと8万人の登録があれば骨髄移植を希望する患者さんにドナーが見つかるとされる数、30万人に達するということから、「骨髄バンク8万人登録運動」が始まりました。</p>
<p>当初はこの運動がこんなに大きなものになるとは想像していませんでしたが、スポーツ・文化・マスコミの皆さんの共感を得て、日本中に広まっていきました。そんな中、僕はベットの上に寝て見守ることしかできず、申し訳ない思いで一杯でした。</p>
<div class="photo"><span><img alt="vol22-2.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol22-2.jpg" width="250" height="200" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></div>
</div>
</div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<p>残念ながら、登録者が増えても骨髄バンクのドナー登録者の中には僕のHLA型と完全一致の人はいませんでした。僕のHLA型はポピュラーではないみたいです。結局弟から移植をすることに決まりましたが、白血球の型は半分しか合っていなかったので骨髄移植はできず、※末梢血幹細胞移植（PBSCT）をすることになりました。移植自体は注射で点滴の管からチュッといれるだけで５分くらいのもので、なんともあっけなく終わりました。移植後、５～６ヵ月月でやっと通常の生活に戻れるようになりましたが、入院生活は約１年にもなりました。移植後の拒絶反応（GVHD）は以外に少なかったのですが、皮膚に出て顔がドロドロになり、膿がでて垂れてくる状態でした。</p>
<p>先生からは、移植をしたら今まで通り激しいスポーツはできないと言われていたので、野球することは諦めていました。退院後、大好きな野球を諦めきれず、大学の野球部にもどることにしました。初めは純粋にプレーすることを楽しんでいましたが、選手に復帰するとやはり試合に出たいと思うようになってきました。復活登板として試合に出たのをきっかけに、レギュラーとして復帰することができました。</p>
<p>現在、高知で骨髄バンクの説明員としてドナー登録会で活動しています。自分はもうドナー登録できませんが、少しでも多くの方に登録してもらえるようにこれからも自分の体験を語ったりして活動の場を広げていきたいと思っています。
今後この病気を通して感じたこと、人の優しさ、友達の大切さ、命の重み、そして今をしっかり生きるということを、教師になって子供達に伝えていきたいです。将来の夢は母校の土佐高校で甲子園を目指し、子供達を連れて行ってあげることです。
</p>
<div class="photo"><span><img alt="vol22-3.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol22-3.jpg" width="250" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span></div>
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[プロフィール]<br />
とだこうじ／1986年生まれ。高知県出身。土佐中・高校の野球部で活躍し、進学した高知大学でも野球部に入部し活躍。しかし、2005 年EB ウイルス感染が原因の血液腫瘍を発症。自らの呼びかけで、当時目標だったドナー登録者30万人が8万人で達成となることから『骨髄バンク8万人登録運動』が始まった。この運動は全国に広り、ドナー登録者の増加につながったが、一致するドナーは現れなかった。そのため、弟から「末梢血造血幹細胞移植」を受ける。移植に伴うGVHD（免疫拒絶反応）の壮絶な闘いを経て退院し、復学。
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大学一年の夏、大学のリーグ戦が始まって次の日先発予告されていた前日に熱が出て具合が悪くなりました。たまたま次の日が雨が降って、一週間試合が延びたんです。初めは風邪だと思い、登板する試合まで一週間あるから熱くらい治るだろうと思っていました。なかなか回復せず病院に行ったところ、すぐ入院と言われました。病名は「慢性活動性EBウイルス感染症」です。「テレビみたいなことがあるんだな・・・」としばらくは自分の事とは思えませんでした。の病気は日本国内では症例があまりない珍しい病気で、治療データも数少なく、まだ分かっていないことも数多くありました。そんな病気になり、自分のことを「なんて運の悪い奴なんだ・・・」と思いました。抗がん剤と免疫抑制剤で治療していたのですが、完治するには骨髄移植が必要でした。治療はほとんど白血病と同じで、大量の薬を投与するので、顔はパンパンにはれてしまい、髪の毛は抜け落ちました。<br />
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骨髄バンクでドナーを探しましたが、HLA型が合う人は見つかりませんでした。「僕は助からないけど、他の誰かを救ってほしい」という気持ちからドナー登録を広める活動を友達から始めました。そして僕の周りの人も賛同してくださり、徐々に輪は広がっていきました。当時（2005年12月）あと8万人の登録があれば骨髄移植を希望する患者さんにドナーが見つかるとされる数、30万人に達するということから、「骨髄バンク8万人登録運動」が始まりました。当初はこの運動がこんなに大きなものになるとは想像していませんでしたが、スポーツ・文化・マスコミの皆さんの共感を得て、日本中に広まっていきました。そんな中、僕はベットの上に寝て見守ることしかできず、申し訳ない思いで一杯でした</div>
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残念ながら、登録者が増えても骨髄バンクのドナー登録者の中には僕のHLA型と完全一致の人はいませんでした。僕のHLA型はポピュラーではないみたいです。結局弟から移植をすることに決まりましたが、白血球の型は半分しか合っていなかったので骨髄移植はできず、※末梢血幹細胞移植（PBSCT）をすることになりました。移植自体は注射で点滴の管からチュッといれるだけで５分くらいのもので、なんともあっけなく終わりました。移植後、５～６ヵ月月でやっと通常の生活に戻れるようになりましたが、入院生活は約１年にもなりました。移植後の拒絶反応（GVHD）は以外に少なかったのですが、皮膚に出て顔がドロドロになり、膿がでて垂れてくる状態でした。先生からは、移植をしたら今まで通り激しいスポーツはできないと言われていたので、野球することは諦めていました。退院後、大好きな野球を諦めきれず、大学の野球部にもどることにしました。初めは純粋にプレーすることを楽しんでいましたが、選手に復帰するとやはり試合に出たいと思うようになってきました。復活登板として試合に出たのをきっかけに、レギュラーとして復帰することができました</div>
<div class="pageBlock">
現在、高知で骨髄バンクの説明員としてドナー登録会で活動しています。自分はもうドナー登録できませんが、少しでも多くの方に登録してもらえるようにこれからも自分の体験を語ったりして活動の場を広げていきたいと思っています。
今後この病気を通して感じたこと、人の優しさ、友達の大切さ、命の重み、そして今をしっかり生きるということを、教師になって子供達に伝えていきたいです。将来の夢は母校の土佐高校で甲子園を目指し、子供達を連れて行ってあげることです。
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<entry>
<title>Vol.21：青野 慶久さん</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/interview/004891.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2009://1.3373</id>
<published>2009-07-07T22:57:38Z</published>
<updated>2009-07-08T00:44:17Z</updated>
<summary>サイボウズ株式会社・代表取締役社長の青野慶久さんは昨年の夏に骨髄提供しました。そのときの体験からみんなで助け合うことが必要だと強く感じたそうです。提供後には会社としての支援がスタートし、これまでにイベントの協賛やクリック募金などでご協力いただいています。「今後も骨髄バンクを応援していきたい」とお申し出をいただき、ますます支援の輪が広がっています！</summary>
<author>
<name>管理者</name>
</author>
<category term="この人にインタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div class="subBlock">
<h3><img src="<mt:BlogUrl />common/images/head_profile.gif" alt="プロフィール" width="39" height="9" /></h3>
<dl class="txtBlock">
<dt>青野 慶久（あおのよしひさ）</dt>
<dd>1971年生まれ。愛媛県出身。グループウエアと呼ばれる業務用ソフトウエアを開発・販売するサイボウズ株式会社・代表取締役社長。1997年に同僚3人とサイボウズを設立、取締役副社長に就任。2005年4月から現職。<dd>
</dl>
</div>
<div class="mainBlock">
<p>確かテレビか何かで骨髄バンクのことを見て、ドナー登録しました。今から14年ぐらい前で、まだ骨髄バンクができたばかりのころだったと記憶しています。登録するために献血ルームに行くと、まずビデオを見せてもらいました。採取のシーンが映っていて、結構、怖いなぁって思いましたね</p>
<p>適合の連絡は、提供したときを含めて3回です。10年間まったく声がかからなかったので、適合通知が来たときに不思議な感じはありました。1回目が4年ぐらい前で、確認検査を受けた後で終了になりました。それから2年ぐらい経って、もう一回来ましたが、これも終了。型が合ってもなかなか提供まではいかないものなんだなぁと思っていたところ、3回目はトントンと話が進んで、2008年の8月に提供しました。</p>
<p>妻もドナー登録をしていたので、「よかったね」とまったく反対はありませんでした。むしろ「いいわね、あなただけ」とうらやましがられたぐらいです。社内では「登録しているんだ」と言う機会もなかったので、ドナー登録していることを知っている人はほとんどいなかったでしょうね。取締役会に報告したときは、リスクがどのぐらいあるのか突っ込まれましたけど、骨髄バンクからいただいた資料などできちんと説明をしたので、とくに反対は無かったです。</p>
<p>登録してからずっと提供するつもりでいたので、心構えはできていました。そこは揺らぐことはなかったです。でも、入院経験もないですし、不安は不安でしたけどね。病院では4人部屋で、私以外はすべて血液の病気で入院している患者さんでした。一人の患者さんには土曜日になるとお子さんがお見舞いに来て、「お父さん！」ってグローブとバッドを持って駆け寄ってくるんですよ。子供たちのためにも、早く治ってほしいですよね。闘病している姿を目の当たりにして、怖かった気持ちが無くなり、勇気が湧いてきました。骨髄を提供することでどこかにいる患者さんを助けてあげられるかもしれないんですから。自分が（提供時に）針を刺されて、痛かったらどうしようなんて、小さいことに思えてきました。</p>
<p>採取後は、腰の辺りが重い感じはありましたけど、傷口が痛むことはなかったです。麻酔の副作用もなく、病院の先生には「こんなに目覚めのいい人はめずらしい」と言われたぐらいです。目が覚めてからすぐにベッドでピースサインをして写真を撮ってもらいました。入院中はおかげさまで快適に過ごすことができ、パソコンを持ち込んで仕事もできました。入院は3泊4日で、退院した日の午後から出社しました。今は提供してから1年経っていないので、保留の状態ですが、時期が来れば解除し、もしもまたお役に立てるのであれば喜んでお引き受けします。</p>
</div>
</div>
<div class="pageBlock">
<div class="mainBlock">
<p>私の骨髄提供がきっかけで、会社としても骨髄バンクを支援していくことになりました。昨年は藤川球児投手（阪神タイガース）の野球教室やシンポジウムのイベントに協賛をしました。サイボウズはグループウェアというソフトを作っている会社ですが、まさに骨髄バンクの発想と同じだと考えています。私も今はドナー登録していますけど、当然、病気になって骨髄移植が必要になる可能性だってあるわけですよね。まさにギブアンドテイク、助け合い、チームワーク。そのコンセプトは会社として共感できます。今年の3月～4月にかけて行ったクリック募金は、「私にも何かできることはないか」と社員から提案がありました。こうやって社内からも支援が広がり、とても嬉しいですね。</p>
<p>また、この機会に社員が骨髄を提供する場合の休暇制度の導入が決定されています。まだ制度としては整えられていないので、いずれきちんと決めたいと思っています。会社を休みにくい方もいらっしゃるでしょうけど、上司が骨髄提供の仕組みについて理解していないとか、そもそも骨髄バンク自体がよくわからないだけなのでは。骨髄提供はまだまだメジャーなことではないですし、人事の担当者でも「何ですか、それは？」と言うことになってしまうのかもしれません。その辺は説明すれば、理解してもらえるのではないでしょうか。</p>
<p>これからも骨髄バンクへの支援は続けていくつもりです。あまりたいしたことはできないですけど、個人としても会社としてもできることから始めていきます。</p>
<div class="photo"><span><img alt="vol21-2.jpg" src="http://www.donorsnet.jp/photo/interview/vol21-2.jpg" width="250" height="230" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></div>
</div>
</div>]]>
<![CDATA[<div class="pageBlock">
<div align="center">----------</div>
[プロフィール]<br />
あおの よしひさ／1971年生まれ。愛媛県出身。グループウエアと呼ばれる業務用ソフトウエアを開発・販売するサイボウズ株式会社・代表取締役社長。1997年に同僚3人とサイボウズを設立、取締役副社長に就任。2005年4月から現職。
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<br />
確かテレビか何かで骨髄バンクのことを見て、ドナー登録しました。今から14年ぐらい前で、まだ骨髄バンクができたばかりのころだったと記憶しています。登録するために献血ルームに行くと、まずビデオを見せてもらいました。採取のシーンが映っていて、結構、怖いなぁって思いましたね。<br>適合の連絡は、提供したときを含めて3回です。10年間まったく声がかからなかったので、適合通知が来たときに不思議な感じはありました。1回目が4年ぐらい前で、確認検査を受けた後で終了になりました。それから2年ぐらい経って、もう一回来ましたが、これも終了。型が合ってもなかなか提供まではいかないものなんだなぁと思っていたところ、3回目はトントンと話が進んで、昨年の8月に提供しました。<br>妻もドナー登録をしていたので、「よかったね」とまったく反対はありませんでした。むしろ「いいわね、あなただけ」とうらやましがられたぐらいです。社内では「登録しているんだ」と言う機会もなかったので、ドナー登録していることを知っている人はほとんどいなかったでしょうね。取締役会に報告したときは、リスクがどのぐらいあるのか突っ込まれましたけど、骨髄バンクからいただいた資料などできちんと説明をしたので、とくに反対は無かったです。<br />
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登録してからずっと提供するつもりでいたので、心構えはできていました。そこは揺らぐことはなかったです。でも、入院経験もないですし、不安は不安でしたけどね。病院では4人部屋で、私以外はすべて血液の病気で入院している患者さんでした。一人の患者さんには土曜日になるとお子さんがお見舞いに来て、「お父さん！」ってグローブとバッドを持って駆け寄ってくるんですよ。子供たちのためにも、早く治ってほしいですよね。闘病している姿を目の当たりにして、怖かった気持ちが無くなり、勇気が湧いてきました。骨髄を提供することでどこかにいる患者さんを助けてあげられるかもしれないんですから。自分が（提供時に）針を刺されて、痛かったらどうしようなんて、小さいことに思えてきました。<br>採取後は、腰の辺りが重い感じはありましたけど、傷口が痛むことはなかったです。麻酔の副作用もなく、病院の先生には「こんなに目覚めのいい人はめずらしい」と言われたぐらいです。目が覚めてからすぐにベッドでピースサインをして写真を撮ってもらいました。入院中はおかげさまで快適に過ごすことができ、パソコンを持ち込んで仕事もできました。入院は3泊4日で、退院した日の午後から出社しました。今は提供してから1年経っていないので、保留の状態ですが、時期が来れば解除し、もしもまたお役に立てるのであれば喜んでお引き受けします。
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<div class="pageBlock">
私の骨髄提供がきっかけで、会社としても骨髄バンクを支援していくことになりました。昨年は藤川球児投手（阪神タイガース）の野球教室やシンポジウムのイベントに協賛をしました。サイボウズはグループウェアというソフトを作っている会社ですが、まさに骨髄バンクの発想と同じだと考えています。私も今はドナー登録していますけど、当然、病気になって骨髄移植が必要になる可能性だってあるわけですよね。まさにギブアンドテイク、助け合い、チームワーク。そのコンセプトは会社として共感できます。今年の3月～4月にかけて行ったクリック募金は、「私にも何かできることはないか」と社員から提案がありました。こうやって社内からも支援が広がり、とても嬉しいですね。<br>また、この機会に社員が骨髄を提供する場合の休暇制度の導入が決定されています。まだ制度としては整えられていないので、いずれきちんと決めたいと思っています。会社を休みにくい方もいらっしゃるでしょうけど、上司が骨髄提供の仕組みについて理解していないとか、そもそも骨髄バンク自体がよくわからないだけなのでは。骨髄提供はまだまだメジャーなことではないですし、人事の担当者でも「何ですか、それは？」と言うことになってしまうのかもしれません。その辺は説明すれば、理解してもらえるのではないでしょうか。<br><br>これからも骨髄バンクへの支援は続けていくつもりです。あまりたいしたことはできないですけど、個人としても会社としてもできることから始めていきます。
</div>]]>
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<title>Q28：骨髄採取と末梢血幹細胞採取で、ドナー登録時の条件は異なりますか。末梢血幹細胞提供ができない既往はあるのですか？</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/qa/004949.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2009:/2011//7.4949</id>
<published>2009-06-02T12:28:00Z</published>
<updated>2010-12-13T07:23:54Z</updated>
<summary>骨髄採取と末梢血幹細胞採取で、ドナー登録時の条件は異なりますか。末梢血幹細胞提供...</summary>
<author>
<name>管理者</name>
</author>
<category term="骨髄バンクQ＆A" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<p id="qaA">年齢、体重、既往歴等については骨髄ドナーと末梢血幹細胞ドナーは原則として同一基準です。ただし、椎間板ヘルニア等で腰に手術を受けたことがある方（骨髄提供不可）でも、末梢血幹細胞提供は可能な場合があるため、コーディネート開始後に確認することになる旨を説明した上で、ドナー登録が可能です。</p>]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>Q27：検査が新たに追加されることになりますが、患者さんの金銭的負担は増えないのでしょうか？</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/qa/004892.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2009://1.3391</id>
<published>2009-06-02T12:27:00Z</published>
<updated>2010-12-13T07:22:13Z</updated>
<summary>検査が新たに追加されることになりますが、患者さんの金銭的負担は増えないのでしょう...</summary>
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<name>管理者</name>
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<category term="骨髄バンクQ＆A" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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<![CDATA[<p id="qaA">患者負担金は増えません。</p>
<p>新規ドナー登録時のHLA検査については、患者負担金はありません。したがってHLA‐C座についてもHLA-A座、B座、DR座と同様にご負担いただくことはありません。患者負担金はHLAが適合してから発生します。</p>]]>
</content>
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<title>Q26：骨髄バンクではHLA-A座、B座、DR座しか調べていなかったのに、2009年8月からC座も調べるようになったのはどうしてですか。私は2009年8月以前に登録したんですが、再登録しなければいけませんか？</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.donorsnet.jp/qa/004948.php" />
<id>tag:www.donorsnet.jp,2009:/2011//7.4948</id>
<published>2009-06-02T12:26:00Z</published>
<updated>2010-12-10T00:36:50Z</updated>
<summary>骨髄バンクではHLA-A座、B座、DR座しか調べていなかったのに、2009年8月...</summary>
<author>
<name>管理者</name>
</author>
<category term="骨髄バンクQ＆A" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
<content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.donorsnet.jp/">
<![CDATA[<p id="qaA">より早い段階で患者さんが希望するドナー候補者を決めることができることから、C座も調べることになりましたが、2009年8月以前に登録していただいた方につきましては、再登録していただく必要はございません。</p>
<p>骨髄バンクが稼動し始めた当初の見解では、HLA‐C座は骨髄移植・末梢血幹細胞移植にはさほど重要と考えられていなかったのですが、骨髄バンクを通じて移植した患者とドナーのペアのHLAの適合度と移植の成績を解析した結果、HLA‐C座の適合度によっては（重症のGVHD（ドナーの幹細胞からできるリンパ球が移植を受けた患者のからだを攻撃する反応）を起こし、）移植成績に悪影響を及ぼすことがわかってきたためです。</p>
<p>また、ドナー登録時にHLA‐C座を検査することにより、ドナーが検索された時点で患者さんとの適合状況がわかり、早い段階で患者さんが希望するドナー候補者を決めることができるため、コーディネート期間の短縮が見込まれます。</p>
<p>2009年8月以前にドナー登録した方については、適合後の確認検査時に他の検査と併せてHLA-C座検査を実施していますので、再登録の必要はございません。</p>]]>
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