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この人にインタビュー

Vol. 03

中溝裕子さん(プロゴルファー)
Vol.03:中溝裕子さん(プロゴルファー)

1991年、骨髄異形成症候群と診断。幸い妹さんとHLA型が一致し、1997年冬、骨髄移植を受けた。

中溝さんは現在も移植後の拒絶反応の療養中。基本的に患者さんなので「どんな話をすればいいんだろう」というモヤモヤした気持ちがあったのだが、実際にお会いしたら、実にひょうきんな方だった。ポートレート撮影では「なんか、モデルみたいっすね。こんなポーズ、どうですか」とスタッフを笑わせ、暑い暑い戸外の撮影にも「うわぁ、芝生の感覚、久しぶり〜。この匂いが懐かしいわぁ」と楽しんで付き合ってくれた。

あらためて病気のことを思い出したのは、喫茶室でアイスコーヒーを頼んだ時。

「うわぁ、うまい! こいうのもね、最近口にできるようになったんです。GVHDで粘膜がやられちゃって、水をちょっと口にしてもヒリヒリ痛いんで、いままで普通に食べ物を取ることができなかったんですよ。栄養は注射とか点滴で補給してて。今年なってから大丈夫になってきたので今はもう食べられますけどね。ご飯を食べれるっていうのがいちばん幸せ」

ゴルフを止めるくらいなら
"根性"で治してやると思ってた

GVHDとは拒絶反応のこと。移植した骨髄液には、ウィルスや細菌の感染から体を守る「リンパ球」という免疫細胞があるのだが、この細胞が移植を受けた患者さんの体を、なかなか新しい主人として認識せず、なぜか自分自身の体を「敵!」とばかりに攻撃してしまう合併症だ。中溝さんは、このGVHDが強く出て、移植後2年半も入院生活を余儀なくされた。

「主治医の先生から『GVHDが治るまで2、3年くらいかかる』って言われたときは、『またそんなん、つらいこと......』って思いましたよ。実際入院中に『口があるのに、なんで食べることもできなくて、寝たきりのままなの』ってひどく落ち込んじゃったこともありました。でも移植を受けるって決めた時から絶対に自分は治る、治ってやると思ってきましたから。時間がかかったけど、今やっとそのときがきたなって感じですね」

今は自分の病気に我慢強くつきあっている中溝さんだが、病気が分かったときからそうだったわけではない。1991年に骨髄異形成症候群と診断され、治るためには骨髄移植が必要だと言われたときには、病気を認めたくないという気持ちのほうが強かったそうだ。

「その頃はまだ元気で、普通の生活にはなんの支障もなかったんですよ。ゴルフもプロとして3年目で、いよいよこれからってときだったし。治療を始めたらゴルフができなくなるっていうのが、その当時はとにかく怖かったんですね。診断のとき、血液の状態を見るために骨髄を抜き取って診る検査があるんですが、これがもう、すごく痛いんですよ。それも嫌だったし、病院に行ったら病人にされてしまう、私はそんなんじゃないぞ、という気持ちもあって、診断されてからますますゴルフ一筋。はっきりいって、治療なんか受けなくても気力で治してやる! って思ってました。今思えば、ゴルフに没頭することで、病気から逃げたい気持ちもあったんじゃないかと思います」

その後2、3年はほとんど病院にも行かず、実質ほったらかし状態(!)。しかし1996年の5月には自分でも体調がおかしいと感じて、再度病院へ。貧血が進んで輸血の必要があるということが分かり、それからは輸血を繰り返しながらトーナメントに出場していた。

しかし、度重なる輸血が肝臓にダメージを与え、輸血で病状を抑えるのも難しくなり、ようやく骨髄移植を選択するしかないという状況を受け入れられたのだという。

幸い移植自体は非常にうまくいって、妹さんの骨髄はすぐに中溝さんの体のなかで白血球を作り始めた。しかし『やった!』と喜んだのもつかの間、GVHDが起こり始め、2年半という予期せぬ長い入院生活を送ることになったのだ。

「ちょっと具合が良くなってからは、プレステばっかりしてました(笑)。だって、ほかにできることないんですもん。紫外線を浴びるのも体に悪いんで、カーテンを閉め切った無菌室に1人でしょ? ゲームしてなきゃ、テレビの料理番組を見て......。周りには『食べられないのがつらくなるばっかりだから、やめとけ』って言われてたんですが、あの頃は眼からでもいいから、とにかく食べたい一心で。ゲームも随分上達しました(笑)」

プロフィール

中溝祐子/Nakamizo Yuko
1988年プロテストに合格、日本女子プロゴルフ協会入会。1991年東洋水産レディース13位。今年2月、自己流で書きためた絵と書の作品集『みんながいるから 今があるから』(集英社刊)を出版。
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