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この人にインタビュー

Vol. 04

山下泰裕さん(柔道家)
Vol.04:山下泰裕さん(柔道家)

ロザンゼルス五輪金メダリスト。今年4月から母校の東海大学に戻り、体育学部教授、柔道部監督として学生の指導にあたっている。

今月3日から東京のJR原宿駅の「ファッションジョイボード」という巨大な掲示板を使って、ドナー登録を呼びかける大型ポスターの展示がスタートした。山下さんもこのポスターにボランティアでご登場いただいたおひとり。以前から講演会などで、骨髄バンクの活動を紹介していただいている。

「大学に戻って忙しくなったので、今は講演会もそんなにお受けできないのですが、半年くらい前まで講演では主催者側に頼んで、会場に骨髄バンクと世界身体障害者芸術家協会の2つのパンフレットを置かせてもらっていました。講演の話題のなかで骨髄バンクなどのことに触れて『興味のある方はパンフレットを持って帰ってください』と呼びかけていたんですが、最近はあんまり同じ話をするのもなんだし、善意の押し売りみたいになるのも良くないと思って、ちょっと話すのを控えているんです(笑)」

骨髄バンクとの出会いは1本の電話がきっかけ。

山下さんが骨髄バンクを知ったのは、今を遡ること10数年前。当時、東海大学の柔道部監督を務めていた山下さんのもとにかかってきた1本の電話が始まりだった。電話をかけて来たのは、白血病のお子さんが東海大学の付属病院に入院しているというお母さん。岡山から治療を受けるためにわざわざやってきたのだが、治療に必要なの血液が足りず、輸血の協力を依頼しに伊勢原市の市役所や学校をまわったが、なかなか応じてもらえなくて困っている、というものだった。

「でも東海大には柔道の山下さんがいる、柔道部の皆さんに協力してもらえないだろうか、ということで、私のところへ電話してきたんですね。そこで柔道部の学生のなかで血液型が合う者を募りまして、このお母さんに協力したのが骨髄移植や骨髄バンクのことを知るきっかけになったんです」

このお子さんは、最終的にお父さんの骨髄液で移植に成功し、元気になって退院した。この報告と協力のお礼をいいに訪ねてきたお母さんから、山下さんは意外な話を聞くことになる。

「柔道部の学生のひとりが、献血のあと何度も病院に来て子どもを見舞ってくれた、定期試験などで来られない時も手紙を書いて励ましてくれた、と言うんです。実は、私はそれまでその学生のことを柔道部の問題児だと考えていたんですね。何度も全日本で優勝している東海大の部員でありながら、練習はさぼる、出てきても意欲がない。正直言って、彼には部をやめてほしいと思っていた。でもお母さんの話を聞いて、『そんな良い所があったのか』と驚かされまして、今まで彼の一面しか見ていなかった自分に気づかされました。学生に対する見方は多面的でないといかんのだなぁと反省させられたんです」

人は誰にでも良いところと悪いところがある。悪いところを正すのも指導者だが、良いところを伸ばしてやるもの、やはり教育に携わるものの務めじゃないか。骨髄バンクとの出会いは、教育者としての山下さんにも影響を与える出来事だったのだ。

プロフィール

山下泰裕/Yanasita Yasuhiro
全日本選手権の9連覇、1977〜1985年まで203回の連勝記録などを達成。その活動から、日本スポーツ賞、国民栄誉賞など数々の賞を受賞。現役引退後も東海大学柔道部監督、全日本柔道連盟のコーチとして後輩の育成に尽力している。
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