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この人にインタビュー

Vol. 06

野田聖子さん(衆議院議員)
Vol.06:野田聖子さん(衆議院議員)

平成5年の第40回衆議院選挙での当選以来、超党派による〈骨髄バンクを支援する若手国会議員の会〉を組織し、議員の立場から骨髄バンク事業をバックアップしている。

昨年2月、donorsnetの立ち上げに向けて奔走していた編集スタッフは、(公財)日本骨髄バンクスタッフとともに、ひとつの会の発足に立ち会った。それが野田聖子さんが会長を務める〈骨髄バンク議員連盟〉だ。これは野田さんが平成5年から組織している〈骨髄バンクを支援する若手国会議員の会〉が発展解消し再編成されたもの。

野田さんといえば、元郵政大臣。郵政と骨髄バンク???どういうつながりで野田さんが骨髄バンクの支援をするようになったのか、その理由が想像できない。そこでいつかはお話を聞きたいなぁと思っていたわけだが、今回とうとう野田さんへの取材が実現! さっそく骨髄バンクに関わるきっかけから話を伺った。

「最初のきっかけは、平成2年の衆院選で落選していたときなんです。当時私は、地元の岐阜で小さな異業種勉強会に参加していて、そこに講師として元患者さんである大谷貴子さんが招かれたときがあったんです。そのとき初めて骨髄バンクとか骨髄移植の話を聞いたんです。死にかけている人が骨髄を移植するだけで元気になって普通の生活ができるというのも驚きでしたし、同世代の若い人たちが一生懸命活動しているというのにも親近感を持ちました。で、大谷さんから最後に『ボランティアもバンクも努力しているのに、肝心の政府や厚生省は積極的に動いてくれない。政治家にいくら頼んでも、そんな小さな事と取り合ってくれない。だから政治は良くないんだ』みたいことを言われたんです」

大谷さんは骨髄バンクが発足する以前の1988年に、肉親からの骨髄提供で助かった。社会復帰後は骨髄バンク運動に積極的に関わり、現在もボランティアとして講演や募金活動に奔走し続けている。彼女の口から直接聞いた政治への批判は、これから政治をやろうとしていた野田さんにとって、かなり痛い発言だったに違いない。

「そのとき私は政治を変えるために議員になろうとしていたわけですから『そんなんじゃいかんわね』と思って、大谷さんに『次の選挙で当選したら、私は絶対骨髄バンクの仕事をやる』と言ったんです。彼女は信じてなかったと思うんですよ。政治に関してはかなり辛辣な見方をしてましたから。でも彼女との約束を果たせれば、ささやかだけど自分にとっても議員としての存在理由が築けるという思いもあって、彼女の失望を覆す議員活動をしたい、次の選挙で当選したら絶対この仕事をするぞと、心に決めていました。」

プロフィール

野田聖子/Noda Seiko
政治家デビューは昭和62年、26歳で立候補した岐阜県議会議員。その後、衆議院に初挑戦した平成2年の選挙には落選したものの、平成5年の衆院選では見事当選。以来2回の選挙を勝ち残り、平成10年の小渕内閣では郵政大臣を経験。プライベートでは昨年、参議院議員の鶴保庸介氏との結婚が話題になった。
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