スマートフォン版へ

 

QRコード
YouTube
YouTube

この人にインタビュー

Vol. 21

青野 慶久さん
Vol.21:青野 慶久さん

サイボウズ株式会社・代表取締役社長の青野慶久さんは昨年の夏に骨髄提供しました。そのときの体験からみんなで助け合うことが必要だと強く感じたそうです。提供後には会社としての支援がスタートし、これまでにイベントの協賛やクリック募金などでご協力いただいています。「今後も骨髄バンクを応援していきたい」とお申し出をいただき、ますます支援の輪が広がっています!

確かテレビか何かで骨髄バンクのことを見て、ドナー登録しました。今から14年ぐらい前で、まだ骨髄バンクができたばかりのころだったと記憶しています。登録するために献血ルームに行くと、まずビデオを見せてもらいました。採取のシーンが映っていて、結構、怖いなぁって思いましたね

適合の連絡は、提供したときを含めて3回です。10年間まったく声がかからなかったので、適合通知が来たときに不思議な感じはありました。1回目が4年ぐらい前で、確認検査を受けた後で終了になりました。それから2年ぐらい経って、もう一回来ましたが、これも終了。型が合ってもなかなか提供まではいかないものなんだなぁと思っていたところ、3回目はトントンと話が進んで、2008年の8月に提供しました。

妻もドナー登録をしていたので、「よかったね」とまったく反対はありませんでした。むしろ「いいわね、あなただけ」とうらやましがられたぐらいです。社内では「登録しているんだ」と言う機会もなかったので、ドナー登録していることを知っている人はほとんどいなかったでしょうね。取締役会に報告したときは、リスクがどのぐらいあるのか突っ込まれましたけど、骨髄バンクからいただいた資料などできちんと説明をしたので、とくに反対は無かったです。

登録してからずっと提供するつもりでいたので、心構えはできていました。そこは揺らぐことはなかったです。でも、入院経験もないですし、不安は不安でしたけどね。病院では4人部屋で、私以外はすべて血液の病気で入院している患者さんでした。一人の患者さんには土曜日になるとお子さんがお見舞いに来て、「お父さん!」ってグローブとバッドを持って駆け寄ってくるんですよ。子供たちのためにも、早く治ってほしいですよね。闘病している姿を目の当たりにして、怖かった気持ちが無くなり、勇気が湧いてきました。骨髄を提供することでどこかにいる患者さんを助けてあげられるかもしれないんですから。自分が(提供時に)針を刺されて、痛かったらどうしようなんて、小さいことに思えてきました。

採取後は、腰の辺りが重い感じはありましたけど、傷口が痛むことはなかったです。麻酔の副作用もなく、病院の先生には「こんなに目覚めのいい人はめずらしい」と言われたぐらいです。目が覚めてからすぐにベッドでピースサインをして写真を撮ってもらいました。入院中はおかげさまで快適に過ごすことができ、パソコンを持ち込んで仕事もできました。入院は3泊4日で、退院した日の午後から出社しました。今は提供してから1年経っていないので、保留の状態ですが、時期が来れば解除し、もしもまたお役に立てるのであれば喜んでお引き受けします。

プロフィール

青野 慶久(あおのよしひさ)
1971年生まれ。愛媛県出身。グループウエアと呼ばれる業務用ソフトウエアを開発・販売するサイボウズ株式会社・代表取締役社長。1997年に同僚3人とサイボウズを設立、取締役副社長に就任。2005年4月から現職。
topへもどる