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この人にインタビュー

Vol. 30

木下ほうかさん
Vol.30:木下ほうかさん

7月からACジャパンによる骨髄バンク支援キャンペーンの新CMが始まりました。キャッチ・コピーは「僕が 卒業しても、」。
出演は俳優・木下ほうかさん。2009年に骨髄バンクを介して骨髄提供しました。これまでマスコミや芸能分野のドナー登録者で、実際に提供された数少ない方のお一人です。テレビ番組「痛快TVスカッとジャパン」のイヤミ課長といえば、今や小中高生の間で知らない者はないと言われるほど絶大な人気を博しています。かけがえのない経験となった提供当時のことをふり返っていただきましょう。

登録したきっかけは何ですか?

以前から、時間に余裕があると献血によく行っていました。献血ルームは、ゆっくりできるし飲み物やアイスクリームがあるのもうれしいですね。あるとき、献血ルームに行ったら骨髄バンクのポスターが貼ってあり、パンフレットを読んでみたら登録は献血の途中で、しかもわずかな血液でできることがわかったんです。あまり深く考えずにすぐにドナー登録しました。

適合通知が届いたときは、どんなお気持ちでしたか?

実は、いつも献血カードとドナーカードは手帳に挟んで持っているんです。なかなか骨髄バンクから連絡が来ないなと忘れかけていた頃、確か登録してから4~5年後に患者さんと適合したという通知が郵送されてきました。通知を手にしたときは、「あー、僕も誰かの役に立てるのかな」と思いました。それと反面、「この期間に大きな仕事が入ったら困っちゃうな、チャンスを逃してしまうかも」と少しだけ不安もありました。

まわりの方々の反応はいかがでしたか?

僕は提供する気持ちが固かったのですが、家族や事務所の人たちに話したら、知識が無いためか「そんなん、やめとけや」と反対されました。でもぼくは困っている患者さんのためになるなら提供したいと、ずっと思っていましたので、誰から何を言われても、自分の気持ちに変わりはありませんでした。仕事の予定は前もって調整してもらいましたが、会社勤めの人はそうはいかないこともあるでしょうね。

木下ほうかさん

提供するまでの感想をお聞かせください

提供に際しては初めてのことなので、正直不安はありました。でもインターネットで調べていくうちに、患者さんに比べたら僕が骨髄を提供することなんて、そんなに大変なことじゃないんだと思いましたね。それに、役作りのために裁判の傍聴に行ったりしますが、骨髄を提供するってどんなことなのか、好奇心もありました。 やはり、入院前は健康に気を使いましたね。僕に何かあって骨髄が提供できなかったら、患者さんの命に関わるんだと。それは絶対に避けたかったです。

入院から採取まで印象に残っていることはありますか?

最終同意は、僕と両親と医師、弁護士で行なわれ、後戻りできない儀式のような感じを受けました。入院している間は健康であったから、とにかくお腹が空きましたね。採取後は、痛みもほとんど無かったので病院の売店に食べ物を買いに行くくらい元気でした。ただ、尿道カテーテルを抜くときは痛くて「ウギャー」と叫んでしまいました。あれはほんと痛かったなあ。

木下ほうかさん

提供してから感じたことは?

提供してから1年近く経って患者さんから手紙が届きました。ご本人と奥様から感謝の気持ちが綴られていて、「あー、生きていて良かったなあ、僕の骨髄も役に立ったんだ」と思うと、うれしくて涙が出ちゃいました。この手紙は僕の宝物ですよ。

あと約1年半でドナー登録を卒業しますが、登録を考えている方にメッセージをお願いします

一回、提供しただけなので、偉そうなことは言えませんが、若者がちょっとした勇気を持ってドナー登録してくれたらうれしいですね。若い人は登録できる期間が長いし、それだけ提供する可能性があるということですから。患者さんと適合したら、改めて家族やまわりの人と相談して決めれば良いと思います。僕にもう1回、適合通知が来たらまた提供したいですね。「おまえもやっているなら、おれもやろか」という人が増えることを願っています。

木下ほうかさん

プロフィール

木下ほうか(きのした・ほうか)
1964年大阪府大東市生まれ。1980年俳優としてデビュー。これまで数多くの映画・テレビドラマに出演。「痛快TVスカッとジャパン」のイヤミ課長で代表されるような個性的な役柄で活躍。その反面ゆったりとした大阪弁で冗談をとばし、悠然とした姿は幅広い世代の心をつかんでいる。
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