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3回目の手紙

Vol. 03

小笠原敏美さん
Vol.03:小笠原敏美さん

骨髄バンクニュース38号でご紹介した小笠原敏美さんからのお手紙を、この場を借りてお伝えさせていただきたいと思います。

発病・余命1カ月・・・

若いころから貧血で定期的に病院へ通っていましたが、発病の頃には病院へも行かなくなっていました。更年期の年齢に差し掛かっていたので、婦人科を受診したところ子宮筋腫がありました。治療や手術は急ぐほどでもないということでしたが子宮全摘手術を受けることにしました。ところが治ると思っていた貧血は、手術前よりひどくなってしまいました。検査の結果、白血球数が異常に高く、血液内科のある病院へ受診することになりました。持参したデータを見た医師から、検査を受ける前から「間違いなく白血病です。そのまま入院するように」と言われましたがが、明日をも知れぬ病気と知り、一旦家へ戻ることにしました。自分で車を運転して帰り、夫に病気と今後について報告の電話をしました。それまで貧血だしたが、そのわりには元気に暮らしていたので、この事実を信じることができませんでした。

初めての闘病

私の白血病は、非常に珍しい染色体の異常があり、余命は1カ月と宣告されました。それから、抗がん剤を使ってがん細胞をたたく治療を受けました。同じ染色体異常の白血病と闘っていた本田美奈子さんが亡くなった翌週、がん細胞の数が肉眼では見られないほどに少なくなる寛解となりました。余命1カ月と言われていましたが救われたのです。1回目の治療は成功です。治療をしているうちは、命を長らえることができるのです。そして、発病から7カ月、ついに退院することができました。が、その後も数値は安定せず、再発前に骨髄移植する方針に決めましたがが、再入院当日に再発してしまいました。

離れ離れでも家族一丸となって夢を勝ちとる

骨髄移植のドナー候補は家族には見つからず、骨髄バンクで探すことになりましたが、みつかっても体がもつかどうか心配でした。それでも「死ぬのを待つだけはつらい、必ず元気になるよう全力でサポートする」といってくれる家族や親せきに、悔いを残させてはいけないと思い、移植に挑戦することにしました。闘病で頑張っている私を励みに、県外で学生生活を送る2人の子供もそれぞれの勉強に打ち込んでくれました。家族が別々の場所で、一緒にこそいられなかったけれど、支えあい、夢を勝ち取るまで、頑張ることができました。骨髄移植は、移植の前も後も大変厳しい治療です。それでも患者さんには、希望をもって治療にあたっていただきたいです。

ドナー様とそのご家族へ、三通目の感謝のお手紙を送らせていただきます。  あなた様には貴重な骨髄を提供していただきました。1年目には、二人の子供たちから銀婚式と元気になったお祝いに長崎への家族旅行をプレゼントされ幸せな時間を満喫。2年後からは、趣味の教室やスポーツで充実の日々。そして今、4年が経過し、来年には5年目を迎えようとしています。移植の副作用と合併症で20キロ減った体重も、今では10キロ戻りこれ以上増加してはだめだと主治医に言われるほどになりました。3カ月毎の血液検査も病気になる前よりいい状態で、すっかり健康体になっています。これで再発率もぐっと減りました。わが身をも顧みず、患者を救いたいというお気持ちで苦痛に耐えてくださったあなた様の行為を無駄にすることなく、時間と命の重みを感じながら、一日を濃く、悔いを残さぬよう、生きている素晴らしさを実感しながら日々暮らしています。 この歓びと感謝の気持ちを表す最高の言葉が見つかりません。本当にありがとうございました。共に闘い励ましあった友の、生きたくても生きられなかった悲しみと悔しさの分も、一日でも長く生きていくのが私の使命だと思っています。絶望の淵にあった私に、あなた様からいただいた新しい命がその使命へと導いてくれました。私は一足早く願いがかない、日々朗らかにハッピーロードにしていただいたことを感謝しておりますが、今も移植を待ちわびて闘病中の患者さんとそのご家族すべてが、笑顔を取り戻し、希望の光で未来を歓びに変えていただくことを切にお祈りしています。そして、ドナー様のご健康を心からお祈り申し上げます。

手紙の差出人
2007年に骨髄提供を受けた小笠原敏美さん

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