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提供者さんインタビュー

Vol. 07

中島朝雄さん
Vol.07:中島朝雄さん

中島朝雄さんは、2000年に骨髄提供を経験。昨年11月に行なわれた『10周年のつどい』にも参加したそうです。「元気になった元患者さんたちと会う機会があると聞いて参加したんですが、実際にお会いしたら、その場にいない今闘病中の患者さんはこの何倍もいるんだろうなと感じさせられました」と感想を語ってくれました。

ドナー登録のきっかけは?

骨髄バンクのテレビコマーシャルですね。白血病で亡くなった中堀由希子さんが登場してドナー登録を訴えるという内容で、それを見て「骨髄バンクってなんだろ」という興味が湧いたんです。ちょうど図書館で彼女のことを書いた本(『21歳の別離』現在、学研M文庫になっています)をみつけて、本を読んでから登録しました。

ただ、だいぶ前の話なんですけど、私も同級生をふたり、白血病で亡くなっていたんですよ。そのときは病気についての知識もなかったし、あまりに身近すぎて、逆に現実味がなかったというか......。ひとりは高校時代の友人で、もうひとりは近所の女の子。どちらも20歳そこそこで亡くなってしまったんです。ふたりともスポーツが好きで活発なタイプだったので、まさかそんな形で逝ってしまうとは思ってもいなかったですね。

実際の登録はいかがでしたか?

登録に関しては「こんな簡単なもんなんだ」と思いましたね。それまで登録しなかったのも、たった10ccの血液採取でできることを知らなかったからなんだなぁと。もちろん提供となると簡単とは言えませんけど、登録自体はそんな大変なものじゃないってことが、もっと知られるようになれば、登録する人も増えるんじゃないかと思いました。

適合通知が届いたときは?

平成10年の登録から1年半ぐらいたった平成11年の8月に通知が届きました。「よっしゃ! 応じましょう」という感じで(笑)。職場の上司にもその時点で「まだ提供するかどうか分からないが、会社を休むことになるかもしれない」と話したんですが、上司も「素晴らしいことだ」と賛成してくれました。それからは職場の仲間から「大変だねぇ」と言われたりすることもあったんですが、その都度「登録自体は献血より簡単だよ」「骨をあげるんじゃないんだよ」というようなことを話しました。「骨髄提供」という言葉から「骨を削るのでは?」「すごい痛い思いをするんじゃないか」と思いこんでいる人も多いんですよね。でも説明すると分かってくれたようでした。

最終同意までスムーズに進んだんですか?

通知から1カ月後くらいに3次検査があり、10月に提供ドナーに決定して、11月に最終同意でした。その後に健康診断があり、採取後の貧血防止のために1 週間ぐらい鉄剤を飲みました。家族の反対も特になかったですね。母親はわりとすぐに賛成してくれて、父親のほうが心配しているようでした。でも「人間いつ事故に遭うか、病気になるか分からないのに、30過ぎまで元気に生きてこれたんだし、提供でなにかあってもそれはそれ。でも僕は絶対に大丈夫だから」っていうような、勝手なこじつけで納得してもらえたようでした。

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