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提供者さんインタビュー

Vol. 11

若林清治さん
Vol.11:若林清治さん

若林清治(わかばやしせいじ)さん(36歳)は、短期間のうちに2度の骨髄提供を経験した珍しい体験の持ち主。その経験を生かして、最近2回提供した人の会「セカンド・ラブ」を立ち上げ、新たなボランティアを画策中とか......。

ドナー登録のきっかけは?

それはもう、神様のおみちびきで......(笑)、というのは冗談ですが、私の場合、登録や提供にいたるまでのあいだに偶然とは思えない出来事が重なったことが、2回の提供のあとも、骨髄バンクに関わる活動を続けたいと思う理由になってるんです。

その偶然とはどんな出来事ですか?

骨髄バンクの活動を知った直後に、身近な人が2人も白血病になってしまったことです。私の叔母と、私の仲人です。もう2人とも亡くなりましたが。

あらためて登録のきっかけを教えてください。

ドナー登録しようと思ったのは、6、7年前。当時、地元の青年会議所の活動をしていて、イベントに清水透先生という方を講師に招いたことがあったんです。清水先生は、お嬢さんを白血病で無くし、そのあともずっと骨髄バンクや骨髄移植に関する講演活動を続けていて。先生の話で初めて、骨髄バンクや骨髄移植を必要とする人たちについてのことを、きちんと知ったんです。たまたま、清水先生の亡くなったお嬢さんは私の娘と同じ「まほ」という名前。そう聞いたらもう他人事じゃないぞ、という気になりまして(笑)。ドナー登録を決心しました。

お知り合いの発病が分かったのは、その直後?

実は決意は固めたものの、全身麻酔が必要ということに漠然と不安があり、講演会から実際の登録までは、少し時間が空いていました。確かそのあいだに、叔母と仲人の発病が分かったんです。ドナー登録が2人の病気を知る前だったのか後だったのか、知り合いの発病がとてもショックで、よく覚えていません。2人とも50歳を越えての発病だったので、バンクを介しての骨髄移植という方法もなく、周囲の私たちにもつらい闘病でした。結局、叔母は発病から数年で亡くなったんですが、叔母の闘病の記憶がまだ新しいうちに、最初の適合通知が届いたんです。

提供にためらいはなかったですか?

ええ、通知を見た直後は「やった! これで1人助けられる」という誇らしい気持ちでいっぱいでした。でも、周囲の気持ちはまったく逆で、特に両親に同意してもらうのに少々苦労しました。

ご家族の説得はどのように?

コーディネーターの方に説明ビデオを借りて見せたり、本を読ませたり、手に入る限りの情報を見せて安全性をアピールしました。でも、やはり両親の不安だけはぬぐえなくて、最終的には無理やり納得してもらったようなかたちでしたね。

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