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提供者さんインタビュー

Vol. 13

山崎誠司さん
Vol.13:山崎誠司さん

現在、住宅設備会社の営業をなさっている山崎誠司さん(37歳)のドナー体験は約12年前。骨髄バンクでの移植開始から、数例目の骨髄提供だったんです!12年前は、現在とは少々事情が違っていた様子。どんなふうにかというと......。

ドナー登録のきっかけは?

その頃、献血するのが趣味みたいなところがあって、日赤の献血センターに定期的に通っていたんです。たぶんそこで、骨髄バンクが設立されるというパンフレットを見たのかな。それでバンクができてすぐ、献血のついでに登録しました。

実は高校のときに、再生不良性貧血のお子さんへの成分献血に協力したことがあるんです。私が通っていた高校にその子の親御さんが協力を依頼して来られて。たまたま同じ血液型だったので協力したんですが、結局その子は亡くなってしまいました。もしあの時、骨髄バンクがあれば、あの子は助かったかもしれないという思いもあって、登録は迷いませんでした。ただ、登録するときは「適合する患者さんがいなければ、声はかからないかもしれません」と言われていたんです。

ところが、すぐに適合通知が届いたわけですね。

そうなんです。ひと月もたたないうちだったと思います。「適合する方がいらっしゃるので、次の段階に進んでもよろしいでしょうか」という連絡が来て。もちろん提供するために登録したので、断る理由なんかありません。そうしたら2次検査、3次検査とクリアして、最終同意の段階までトントン拍子に進んだんです。

家族の方の反応はどうでした?

その頃はまだ独身で、最終同意には母が出ました。母には「せっかく育ててやったのに、片っ端から血を抜いて」と献血も不評でして(笑)。登録するときは「適合する人がいなかったら、あげなくていいんだから」と納得してもらいましたが、なにせすぐ合っちゃったもんだから、「なにもお前がしなくても」と言われましたけど。ただ私は高校のときの経験で、できれば提供したかったので、その話をしたりして同意してもらいました。

提供について職場の方の反応は?

さいわい、その時の会社は「ああ、行っておいで」という雰囲気で、反対などは全くなかったです。ただ営業の私が休むことで迷惑をかける取引先もあったので、お客さん全員に事情を説明したんです。なかには「自分も登録したかったが、やり方が分からなかったんだ」と言ってくれた人もいて、そのお客さんには登録の仕方や場所やら、説明してあげましたよ。

提供までで一番思い出深いことは?

健康管理に気を使ったことですね。最終同意から入院まで、1週間か10日ぐらいだったんですが、とにかく風邪引いちゃいけないし、車の運転も気をつけたし、体にはものすごく気をつけました。まぁ、普通のことしてれば大丈夫なんですけどね。ただ、提供するってことがプレッシャーでした。

入院はいかがでしたか?

健康体で入院したので、他の患者さんと一緒の病室では、とても場違いな感じを受けたのを覚えています。私のときは、入院2日目に採取だったんです。採取前の1日は元気なものだから、病院の給食では物足りなくて、売店でカップラーメンを買ったりして。でも、ベッドで食べるのは気が引けて、給湯室の隅でこそこそ食べていました(笑)。

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