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提供者さんインタビュー

Vol. 18

伊東桂子さん
Vol.18:伊東桂子さん

ドナー登録は骨髄バンクがスタートしてすぐの伊東さん。患者さんへの提供は10年近くたった2001年後半でした。そのことも一因となり夫の義雄さんを通じて勤務会社を動かし、企業の社会貢献としてJMDPへの寄付と企業内でのドナー登録会へと結びついたようです。"ドナー登録卒業"まで 1年ほどですが、「できればもう一度」と心待ちにしているところです。

ずいぶん早い登録だったわけですが、どのようなきっかけがあったんでしょうか?

移植には以前から興味があったんですが、死んでからの提供じゃなくて生きているうちにお役に立てないかと思っていたところへ、骨髄バンクが始まったからというのが第一ですね。夏目雅子さんや若くして亡くなる患者さんの姿にも心動かされました。そうした気持ちをずっと支え続けていたのは、次女が生まれてすぐ病気を患って病院にかかったとき、うちの子は健康だと感謝できる思いがあって、私にできることは少しでもしたいという気持ちでしたね。

提供までにずいぶん時間がたっていますね。

実は登録から数年後に一度、2次検査を受けてほしいという連絡がありました。当時は検査が1次と2次と別々にあって、「合う人がいるんだ」と驚きましたね。そのときは連絡がないままだったので、ちょっとがっかりしたのを覚えています。

※1997年4月より、ドナー登録時の1次、2次検査(HLA-A座、B座、DR座検査)を同時実施。

実際に提供に至ったときには「感激ひとしお」といった感じでしたか?

適合の連絡をもらったときは、やはりびっくりしました。2001年の冬でしたけれど、それから検査が何度か続いていくと、自分自身でも気持ちを改めていきました。体調を整えないと相手の方に迷惑をかけることになりますから、その点は家族の協力ももらいましたね。

ご家族は皆さん積極的な受け止め方だったんでしょうか?

登録したときは「ほー」という程度で、どんなに大変かということは理解していなかったと思うんです。ところが、実際にコトが運んでいくにしたがい、細かな説明があり、資料をいただくにつれてびっくりしていました。

提供はやはり「大変なこと」でしたか?

不安がなかったといえばウソになりますけど、私自身はそれほど不安を感じませんでした。痛くないはずはないけれど、医療事故の事例を含めて細かい説明がありましたからね。それに、私が登録してから同じようにドナー登録をした大の親友が見守ってくれているという気持ちを、ずっと胸に抱いていました。実は...。

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