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提供者さんインタビュー

Vol. 25

中田守さん

献血が趣味で、すでに献血回数130回を超えているという中田守さん。幼い頃にふと感じた「自分って何?」という疑問が、HLAの一致度によって決まる骨髄提供への興味につながったのだそう。ドナー登録をするかどうかは「本当にやりたいかどうか」だと明快に語ってくれました。幸いにも家族や職場の理解を得られて念願を果たした今は、やや脱力気味!?

ドナー登録のきっかけは?

献血ルームで骨髄バンクのポスターやパンフレットをよく見かけていたので、ドナー登録には興味がありました。98年にたまたま平日休みのときがあって、いつもとは違う献血ルームで登録しました。僕の場合それだけじゃなくて、幼少のころ突然、「内なる孤独感」を感じることがあったのも登録の理由ですね。それ以来「自分とは何だろう?」という疑問をずっと持ちつづけていますので、自分と同じHLAを持つ人がこの世に存在していることを知りたかったからです。人間は大きく分けると猫派と犬派に分けられるんだそうです。ちなみに僕は猫派だと思っています。しかも「犬派になりたくてもなれない、寂しい猫派」なので、何か人とつながりを求めようとするところがあるんですよ。 HLAが同じだということは、何かつながりがあるんじゃないかと思うんですよ。

適合通知が来たときはどう思いましたか?

登録してから半年ぐらいは、すぐにも連絡がくるものと期待していました。ところが、2年経ち3年経ち...。でも去年の春ぐらいから、そろそろ来るのでは?という予感はしていたんです。適合通知が届いた日、子どもから「バンクから何か来たよ」とメールがありました。気になったので急いで帰るとピンク色の封筒が届いていました。中身を見ても初めは意味がわからず「???」という感じでした。まず、コーディネートという言葉の意味がわからなかったんです。よくよく読んでみると患者さんが見つかったことがわかって、ようやく候補者になったんだと自覚しました。

ご家族の反応はどうでしたか?

家族の反対はまったくありませんでした。僕の性格をよくわかっているので、反対しても仕方ないと思ったんでしょう(笑)。むしろ周りの人たちのほうが心配だったようです。何人かには「やめてください」や「本当にええんか?」なんて言われしたしね。そう言われて多少は考えましたが、たいしたことはないと思っていたから提供する意思は変わらなかったです。ただ、会社のことはすごく気になりました。当時は製造課長という立場だったので、「仕事を抜け出してもええんかな」と迷いました。日々の生産・売上を計画どおり達成するため、みんなに休まないでくれと頼んでいる張本人が、たかだか骨髄提供するために自分が休んでいいのかと、すごく悩みましたけど係長の2人が「やれや。あとはまかせろや!」と言ってくれて、決心がつきました。この2人には感謝しています。

コーディネート中に印象に残ったことは?

「さぁ、あとはサインするだけだ」という最終同意の段階になったとき、ふと「心臓がときどき痛い」と言ったんです。大騒ぎになりました。コーディネーターさんがJMDPに連絡したら「心エコーと負荷心電図をとって、異常がないことを確認してください」ということになりました。結局、検査結果に問題はなかったんですけど、検査を経てようやく最終同意書にサインしました。

提供が決まってから、特に気をつけたことはありますか?

全然なくって、普段どおりに生活していました。たばこをやめることは勧められたんですが、禁煙はできませんでしたね。あえて言うなら、早く帰宅していたことぐらいでしょうか。会社のみんなが「早く帰って」なんて、気を使ってくれてたんですよ。

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