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提供者さんインタビュー

Vol. 26

飯田多可一さん
Vol.26:飯田多可一さん

空き時間にたまたま聴いた大谷貴子さん(全国骨髄バンク推進連絡協議会 会長)の講演会がきっかけでドナー登録をした飯田多可一さん。登録するときに読んだパンフレットにあった「いのちを救えるのはあなたかもしれない」という言葉に、誰かが待っているかもしれないと思ったそうです。提供後も骨髄提供の体験をまとめたホームページを公開したり、ボランティア団体に所属したりと、骨髄バンクへの支援はずっと続いています!

ドナー登録のきっかけは?

1994年に地元の青年会議所に入会して、その2年後に行われた全国規模のイベントに参加したときに聴いた大谷貴子さんの講演会です。実は、本当の目的は別の講演会だったんですけどね。たまたま空き時間があったので、他の講演会にも参加しようとパンフレットを見ていたら、セミナー参加者の中に東ちづるさんの名前があったんです。せっかくだから東さんを見てみたいと思って、さっそく会場に向かいました。そのとき東さんと一緒に話をしていたのが大谷さんでした。大谷さんの話を聴いて、自分の中に何か沸き上がってくるものを感じました。骨髄バンクの詳しい話を聴いたのは初めてでしたが、何よりも患者さん・ご家族の気持ちがひしひしと伝わってきたんです。講演後にパンフレットをもらい、次の日にはドナー登録の申込書を投函しました。

適合通知が来たときはどう思いましたか?

初めての連絡は、登録してから何年か経ったころです。骨髄バンクからいつもと違う封筒が来ていたので、中を確認したら患者さんが見つかったとありました。でも、このときは残念ながら確認検査後、患者さんの都合でコーディネート終了となりました。それから数年後、また適合通知が届きました。このときも提供する意思には変わりありません。コーディネーターさんも前回と同じ方で確認検査もほぼ同じ内容でしたね。確認検査から2カ月ぐらい経って、最終的なドナー候補者に選ばれた連絡が来ました。

ご家族の反応はどうでしたか?

最終同意面談には妻が同席しました。私はそれまでもいろいろと説明を受けていましたので、考えが変わることはありませんでしたが、妻は私の話だけしか聞いていなかったので、骨髄提供に不安を感じてしまったようです。弁護士さんが助け船を出してくれて、再度面談の場を設定してもらいました。私自身はずっと骨髄を提供する考えでいました。ですから、私から家族への説明が非常に少なかったと後で反省したんです。家族と私の間に、骨髄提供に対する考え方に温度差があったわけですね。面談後、「自分の家族にも発症する可能性があるし、大切な子どもたちが病気になればどんなことでもするよね。いま病気で苦しんでいる患者さんもきっと同じ気持ちだと思う」と自分の気持ちを伝えました。それで妻も納得してくれて、2回目の最終同意面談では、2人そろって同意書に署名捺印をしました。

入院はどうでしたか?

3泊4日でしたが、入院は生まれて初めてだったんです。私は健康なのに個室で、他の患者さんは何人かの部屋で、申し訳なく思いました。病院の先生、看護師さんはすごく親切で、よく話しかけにきてくれました。9時消灯なんですが、個室だったので大目に見てくれたようですね。

採取のときは緊張しましたか?

前日は緊張していました。それに、大目にみてくれたとはいえ、就寝時間が普段よりも早かったので、朝の5時半ごろには目が覚めました。いま考えると、緊張していただけかもしれませんね。寝ようと思っても眠れないのでテレビを見て時間をつぶし、時間がきたら採取のための身支度を整えました。

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