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提供者さんインタビュー

Vol. 34

中林吾郎さん
Vol.34:中林吾郎さん

1995年、阪神大震災、おとうさまの死と相次ぎ、命について真剣に考えるように なり、ドナー登録をした中林さん。10年後の2005年に骨髄提供に至りました。 いくつかの困難を乗り越えての提供でしたが、もう一度機会が訪れれば・・・

ドナー登録のきっかけは?

1995年1月、けがをして父が入院し、数日後に阪神淡路大震災が発生しました。道路事情などで私が見舞いに訪れたのは4日後でしたが、家族と連絡も取れず、テレビで自宅の周辺がめちゃくちゃになっている様子を見ていた父は、心配のあまり4日間で白髪になってしまいました。それから容態が急に悪化し、父は2月に亡くなりましたが、この時から命について真剣に考えるようになりました。父の病院には、「ドナーさえいれば助かるのに・・・」という骨髄バンクのチラシが置いてあり、これがドナー登録をするきっかけとなりました。

適合通知が来たときはどう思いましたか?

登録してから10年くらいたったころでした。そもそも命について考えての登録でしたから提供したいと思いましたが、登録時と違い、結婚してちょうど子供が生まれる時でした。そのため、妻がどう思うかがとても気がかりでした。

ご家族の反応はどうでしたか?

その妻が快く賛成をしてくれましたが、母親に反対されました。ドナーになって全身麻酔をかけると死んでしまうといううわさに不安を抱いたようでした。

周囲の方、職場の方の反応はどうでしたか?

職場が地方の支店だったのですが、上司からは休むのは結構だが、自分のノルマは自分で処理し、自分の責任の範囲内やれというスタンスでした。

コーディネート中に印象に残ったことは?

提供はしたいけれど、休みは極力少なくして仕事に影響がないようにしたかったので、コーディネーターや調整医師、採取施設に無理を言いました。皆さんに受け入れていただいて、おかげさまでスムーズに提供することができました。

採取のときは緊張しましたか?

病室からストレッチャーに乗せられて、天井を見つめている時は本当にドキドキしました。そして連れて行かれた手術室は、全体が水色でひんやりしていました。普通は重病の方が運ばれてくるのだろうと思うと、変な気持ちになりましたが、麻酔の導入で間もなく記憶がなくなってしまいました。術後に名前を呼ばれて答えたらしいのですが、そのことすら覚えておらず、夕方までぐっすり眠ってしまいました。

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