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提供者さんインタビュー

Vol. 35

菅野美奈さん
Vol.35:菅野美奈さん

ピアニストの菅野美奈さん。発達障害児へのピアノ指導、小中学校を訪問して子供たちにクラッシックへの誘い演奏会活動、最近では自身や仲間のライブで骨髄バンクの紹介を行い、CDの売り上げの一部を骨髄バンクにご寄付いただいています。

ドナー登録のきっかけは?

10歳のころ、入院した経験がありました。同部屋には、白血病の女の子がいて妹のように思っていました。その子の髪の毛が抜けていく様子、お母さんがトイレで泣いていた姿を見て、子供ながらに大変な病気と感じていました。わたしはすぐに退院し、その後の通院時に病室へ顔を出していましたが、ある時、その子がいなくなっており、亡くなられたことを直感した記憶が残っています。こうした経験から、何かお役に立てたらいいなと思いドナー登録しました。

適合通知が来たときはどう思いましたか?

登録後1~2年は、適合をずっと待っていましたが、通知が届いた時は、登録したこともすっかり忘れており、「これは何?」という印象でした。それでも、適合する患者さんと出会えてとても嬉しかったです。ドナー候補者は複数いるそうですが、何人いるかは教えてもらえません。わたしがお断りしたら、患者さんがどうなるかわからないと思い、お話を進めていただきました。

ご家族の反応はどうでしたか?

主人はあまりいい顔をしませんでしたが、わたしが自分の欲求することは絶対やめない性格をよくわかっていたので、何も言いはしませんでした。子供は骨髄提供をする説明をすると固まっていました。

周囲の反応はどうでしたか?

親しい友達には、骨髄バンクで型のあった患者さんが見つかり、提供することになるかもしれない話をしました。おもしろいことに、男性陣は「やめておいたら?」といった反応が多く、女性陣からは「すごいね」という反応があり、「やめておけば」という言葉は誰からも出てきませんでした。

入院中のエピソードをお聞かせください

入院は子供のころと出産時にあり骨髄提供が3回目でしたが、一番短い入院でした。 提供当日、目が覚めた時はちょっとドキドキしました。手術室に入り、麻酔をかけられると、天井の電燈がぼやけて見えたかと思っているうちに意識がなくなり、目が覚めた時は病室でいろいろなチューブにつながれていて、それから急に病人になったような気分でした。
見舞いに来た主人はそんな姿を直視できず、すぐに帰ってしまいました。息子は当時小学校6年生でしたが、一人で電車やバスを乗り継いで遠くの病院まで見舞いに来てくれました。その帰っていく後姿をいつまでも病室の窓から見送ったことを覚えています。やはり病院は患者さんがいるところなので、重々しい雰囲気があり、そこにいるのがとてもつらくて早く退院したいと思いました。

採取後の痛みはありましたか?

自転車に乗った時、うしろの籠がちょうど採取したところにあたると痛かったです。また、しばらくおなかに力を入らず、すぐに座りたくなってしましました。でも日に日によくなり、2週間くらいで戻りました。

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