Vol.12:浅野泰司さん
社会人1年目に骨髄異形成症候群が判明し、アメリカの骨髄バンク(NMDP)からの骨髄提供での移植手術に成功。移植手術後、職場復帰も果たし、現在も発病前と同じ会社で仕事を続けている。
病気が分かったのは、会社の定期診断がきっかけです。再検査の指示が出ていたのですが、別に体調が悪いわけでもなかったので半年以上放っていたんです。検診の翌年の夏、たまたまその月の売上を終えて余裕のある日に、営業車のまま検診センターに行って血液検査を受けたんです。
そうしたら、いきなり「状態が悪いので入院が必要です。救急車を呼ぶのでそれで移動してください」と言われて大きな病院に直行。ほとんど拉致状態でしたね(笑)。車があるので、救急車はいいですと言っても聞き入れられず、はじめて救急車に乗りました。はっきりした説明もないまま連れて行かれて、頭のなかは「なんだろう!?」という疑問と混乱だけでした。
病院でドクターから告げられた病名は「骨髄異形成症候群」。簡単にいうと、血液を造る骨髄細胞の異常で、赤血球や白血球の細胞がちゃんと造られなくなる病気です。進行すると異常な血球だけでなく、ガン細胞も作り出すようになってしまう。要するに急性骨髄性白血病と同じ血液のガンです。
骨髄移植を決断したものの、
国内にドナー候補者はいなかった。
当時は地方で1人暮らしをしていたんですが、病気が病気だけに短期の入院では済まないので、親元に帰ってあらためて入院することになりました。再検査から入院までは、日付や曜日まで覚えています。まさか自分がそんな病気になるなんて思ってもいませんでしたから、非常にショックだったんでしょう。
骨髄移植は、地元で入院した病院の主治医から提案されました。骨髄異形成症候群という病気は、病気の進行状況によってステージが分かれ、最終的には骨髄移植を受けるしか治療法がなくなってしまう。ステージが進まないうちに骨髄移植を受けたほうがいいという、主治医の意見で、早いうちから治療は骨髄移植の方向で決めていました。
ただ僕の場合、骨髄移植の条件であるHLA型が、親兄弟とも一致しなかったし、当時の骨髄バンクの検索でも、骨髄移植は実現しませんでした。

