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患者さんインタビュー

Vol. 07

三澤仁平さん
Vol.07:三澤仁平さん

リスクをはらんだ移植か、化学療法の続行か。2つの選択肢の間で揺れた20歳の三澤さん。移植を決意させたのは"俺って運がいいから上手くいくかも"という楽観と医師の「すごい笑顔」でした。移植から5年目の今を伺います。

発病から移植まで

18歳で浪人中でした。予備校に通っていたのですが学校まで行けないくらい体調が悪くて、検査したら骨髄異形成症候群という血液の難病でした。治療しながら2月には東北大学を受験して合格。好きな問題が出て、運が良かったんです(笑)。1年の間は何とか大学に通っていたのですが、2年になる前の2月にまた体調が悪くなり、今度は急性リンパ性白血病と診断され、骨髄移植をすすめられました。その年の秋には移植したので、ドナーの方は結構すんなりと見つかった方だと思います。

ただ僕自身の体調が悪くて、寛解に入らず時間がかかりました。でも、実は最後まで悩んでいたんです。移植をすれば治る確率は高いというが、もしかしたら1 人で孤独に死んでいくっていう可能性もある。でも、このまま化学療法を続ければ病院からずっと出られない生活だろう...と。

結局決断したのは、それまでの自分の人生を振り返ってみて「俺の人生って、結構運がよかったなぁ。浪人しなきゃあ無理をしてもっと悪くなっていたかもしれないし。この調子で移植もホイホイっていくかも。じゃあ勝負してみよう」と思ったこと。それと主治医にそんな話をしたら、「三澤くん、大丈夫だよ」って、すごい笑顔で言ってくれたんですね。その笑顔を見たとき、うまくいくかもという気がしました。

そして大学に復帰

98年の秋に移植して2000年4月に大学2年に戻りました。入院中、いろいろ制限される生活の中で一番思ったのが、「思いっきり勉強したいなぁ」ということ。それまではあまり勉強が好きというワケではなかった。だから大学に戻れて、すごく勉強できて楽しかったです。復学した2年生のときは、大学祭の実行委員をやったり、骨髄移植の講演会の企画をしたり、自分なりに充実した1年を過ごせて、それがその後の自信につながったように思います。

ドナーの方と家族への想い

移植を受けた日を「第2の誕生日」と決めて、ドナーの方に感謝しています。なんだか移植を受けた後、自分が変わった気がします。物怖じしなくなったというのか。それは移植という体験をしたせいなのか、彼(ドナーの方)のDNAが入ってきたからなのか分かりませんけど。お酒も強くなったかな(笑)。移植を受けた仲間からはよく「お酒強くなったよ」という話を聞きますよ。

家族については、父親も母親も物事に動じないタイプだし、兄貴も能天気な男なので(笑)、逆に家族のそういうのほほんとした部分が救いでした。実際に僕がいない場面ではそうではなかったかもしれませんが。よく他の患者さんも言われることですが、「がんばれ」って言われるのは結構キツイことで、「十分がんばってるんだよ、これ以上どうしろって言うの」とカツンとくる。心も病んでいるからちょっとした言葉で傷つくんですね。

これからの骨髄バンク、これからの自分について

僕も骨髄バンクやさい帯血バンクのボランティア活動をしていますが、バンクの設立から10年以上たって、いま過渡期にあるのかなと思います。登録会やチャリティーコンサートなどのほかにも、新しい企画を打ち出していくときにきているのではないでしょうか。僕個人としては、骨髄移植の経験をバックグラウンドにした研究やボランティアをこれからも続けていきたいと思っています。

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