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患者さんインタビュー

Vol. 11

中川里枝子さん
Vol.11:中川里枝子さん

中川さんは2人のお子さんを持つお母さん。この3月は、出られないだろうと思っていた息子さんの小学校の卒業式です。元気な姿で出席することができる嬉しさとともに、「私と家族と、私に関わる大勢の人に笑顔をもたらしてくれた」ドナーさんへの感謝を語ってくれました。

7 年前、慢性骨髄性白血病という病名を聞いて、真っ先に思ったことは子どものことです。下の息子はまだ幼稚園の年中組でしたから、この子の小学校の入学式も、私は見られないかもしれないと、ホントに頭のなかが真っ白になる思いでした。

それからは、子どもたちに「生きるための知恵」を教えることが暮らしの中心。また闘病中から骨髄バンクのボランティアを始めて、病気と闘う患者としてテレビなどの取材などにも積極的に応じてきました。

でも、家事もボランティアも、結局は「死への準備」だったような気がします。私がいなくても、ちゃんとやっていけるようにという......。テレビへの出演依頼も、生きている私の姿を、映像として子どもたちに残せるという思いから受けていたんです。

それが、骨髄移植を受けた日から自分でも予想していなかった「生きる」という方向に、人生が動き出した。ドナーさんが現れなければ、私は今ここにいなかったことを思うと、どんな言葉でも伝えきれない感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

告知されても信じたくなかった。

病気が分かったのは、手のケガがきっかけでした。外科で血液検査を受けたら、「あなたの血液は白血球が多いから調べてもらって」と言われて。で、内科に行って検査を受けたとき、顕微鏡で白血球を見せてもらったんです。

それはハート形があったり、3つも核のある血球があったりして、一目で不ぞろいなのがわかる状態だったんです。その内科からも、さらに大きな病院を紹介され、もっと詳しい検査を受けるようにと言われました。

次の病院への受診までの数日間、図書館や本屋に行って、病院で見た血液のことを調べました。どの本を見ても、白血病だと書いてある。その時の症状から判断して、たぶん慢性骨髄性白血病だと思いました。本には、発病して4、5年で急性転化して(病状が悪化して)死に至る、骨髄移植以外に治療法はない、とありました。

でも、他の病気だと信じたいですから、さらに別な本を見る、でも同じことが書いてある。もっと別な本を見る、また同じ記述に当たる、の繰り返しで。病院の先生なら、きっと違う病名を言ってくれるだろうという思いで受診したんです。

ところが、病院の先生は「ご兄弟はいますか? ご両親は健在ですか?」と病名には触れずに、逆に質問してくるんです。これは骨髄移植のことを言っているんだなと思いました。そうは思いましたが、まだその時点では違う可能性を信じていました。

主人の口から病名を聞いた瞬間も、まだ信じられなくて。本当に自分の身に起こっていることなんだと思えたときには、頭のなかはパニックでなにをどうしたらいいか、全く考えられませんでした。

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