スマートフォン版へ

 

QRコード
twitter
facebook
YouTube

患者さんインタビュー

Vol. 20

後藤千英(ごとうちえい)さん
Vol.20:後藤千英(ごとうちえい)さん

後藤千英さんは発症してから10数年を経て骨髄バンクを介して骨髄移植を受け、今では重大な病気を経験したとは思えないほど元気になりました。講演会や患者向けセミナーでは、自らの苦しい体験を通じて患者さんと語らい、勇気づけてくれます。移植から5年後に弟の哲平さんが骨髄バンクで提供ドナーとなりました。現在、姉弟そろって骨髄バンクを支援していただいています。 (このインタビューは、日本骨髄バンクニュース第51号[2017年12月6日発行]でもご紹介しています)

発症から移植までの10数年間

バスケに明け暮れていた高2の秋頃、手の甲が異様に腫れて病院へ。「骨髄異形成症候群(MDS)」と告げられました。この病気は発症しても症状が悪化しない限り、薬もなければ治療方法もなく、血液検査だけの経過観察が10数年経過しました。病状に変化がないので、血液検査の間隔もだんだん空いていき、次第に病気だという自覚も薄れていくほどでした。
けれども30代になった頃、登山で動悸とひどい頭痛がして、様子がおかしいことに気づきました。診察を受けたところ、再生不良性貧血に近いタイプのMDSとわかりました。当面の治療方法は輸血だけ。医師からは「骨髄移植しかない」と。兄と弟のHLA検査の結果、2人は同じ型だったのに私とは不一致で、とてもショックでした。

移植の決断は父の言葉

リスクを含めてありとあらゆる情報を集めました。患者会のセミナー等にも出席して、移植のほかに選択肢がないかどうか調べました。
なかなか決心がつかない私に、最後に背中を押してくれたのは父の言葉です。「人生には何度か勝負しなければならない時がある。千英には自分で決断する力がある」。
3度のセカンドオピニオンを重ね、最終的に大阪の移植病院に決めたのは直感でした。同じ病棟に私と同年代の患者さんは1人だけでしたが、その方と病気の悩みを分かち合うことができました。患者さんのブログサイトでも情報交換ができたことは心強かったです。

移植後の闘い

2012年1月に骨髄バンクに患者登録してすぐにドナーが見つかり、移植を受けたのは6月。その間に卵子保存を行うことができました。移植後、一番つらかったのは薬が飲めないことです。口やのどの粘膜がただれて水も飲めない状態で、そのつらさは想像を絶するものでした。

移植後のきびしい服薬治療
移植後のきびしい服薬治療

そのとき何よりも慰めてくれたのは、義理の姉が作ってくれた家族のアルバムです。家族1人1人の写真とメッセージに涙があふれました。

家族のアルバム
家族のアルバム

移植前処置の直前に、担当医師が「自信と経験があるから大丈夫」と言い切ってくれたことも支えになりました。それが信頼関係につながり、患者にとってすごく大事なことだと、折に触れて医師の方々に話しています。
ドナーさんから頂いた造血幹細胞が体に生着して新しい血液が造り出されると、苦しみは嘘のように消えていき、9月には退院できました。

最上級の「ありがとう」

以前は事務職でしたが、通院しやすいよう営業職に変わり、今では病気だったことが信じられないほど元気に活動しています。小さい会社ですが「ドナー休暇制度」ができました。勤務先にこういうバックアップ体制があると、ドナーさんにとっては、提供に前向きになれると聞いています。これを機にほかの事業所にも広がっていくとうれしいです。
病気でつらい時期は本当に苦しい時間ですが、今病気と闘っている患者さんへは「上がらない雨はない」と伝えたいです。苦しいことがあってもいつか必ず嵐はやむ時が来ることを信じてほしい。
ドナー登録してくれた方には、もし適合したら一度は話を聞いてほしいと思います。いろいろな事情があって提供が難しいこともあるでしょうけれど、せめて一度お話を聞いて、それから判断してもらえればいいなと思っています。
こうして命を分けてもらったことへの感謝でいっぱいです。最上級の「ありがとう」を探しているけれど、ほかに言葉が見つからないです。

弟の哲平さんと千英さん
弟の哲平さんと千英さん
topへもどる